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ウンコの絵

元ブログより。2019年3月の記事に、若干加筆したものです。
(写真と本文は関係ありません)

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物忘れも酷くなって来たこの頃だが、折々のことは、特に
「くだらないこと」
ばかり事細かに覚えているという偏りがある。
娘が中3の時のことを未だに覚えていて、その時の中学からの手紙に今更ツッコミを入れたがる。
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「私立高校の入試も終わり、結果も次々と入ってきています。
 (中略)
* 合格の喜びを過度に表現しない。
* 友達に結果を聞かない。
* 誰かの結果を知っていても他の人には教えない。」
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・・・・・なんだコレは?
15の春前、は、都会はともかく、田舎で現代を生きる子には最初の試練かもしれない。
しかし、こんな手紙がわざわざ来る世の中、よこす学校とは何だ?
昨今子供を取り巻く環境が悪化しているのは、毎日のように報道されるニュースを見るまでもなく明らかである。
学校としたら、たとえば入試に失敗して自殺でもされてはかなわないのだろうとも思う。
しかし、これはなんだ? 子供たちには口で言えば良いではないか?
親への警鐘か? 余計なお世話である。
何かあった時、学校では指導していたと言う証拠か?

私の根性が曲がっているのは重々承知しているが、実に不快である。
嬉しくても顔に出せない、残念な結果でも回りに気づかれないようにってか?
それでいいのか???

私が育った時代だって、桜咲くものそうでないもの当たり前にいた。
成績が良くても、家の事情等考えて泣く泣く進路を変えるものもいた。
金持ちの息子なのに素行が悪く、少年院に入ったのもいた。
けれど、お互いがそれなりに配慮できたし、もちろん出来ない奴もいた。

同じ事柄でも、受け止め方はひとくくりには出来ないのだ。

その時の悔しさをバネに頑張って、今は誰よりも稼いでいるものもいるし、立派な大学を出ても、仕事に就かないものもいる。
それぞれの道は、最初から同じスピードではないのだ。
合否は確かに大問題だ。
しかし、それほど危惧するならば、駄目たったとしても、ダイジョウブと寄り添うのが教育ではないだろうか。
落ちたら全て終わりのように言うのが、おかしいのだ。
試練だからこそ、そういう違いがあることを教えて行きたいし教えて欲しいと思う。

きっと、こんなことにいちいち腹を立てる私のほうが学校よりも過剰なんだろうと思う。こんな親がいるからこういう対応になるのかもしれない。
賛否両論と思う。

読んで気分を害された方がいたら、ごめんなさい。
そのときはスルーしてください。
しかし、くだらない。こんなのを刷って何百枚と配るな。

それ以前に、

「いちいち傷つくな、くだらない」

人生もっと「面白い」ことはたくさんあるのだ。


で、娘。娘はコレに、落書きをして私に出してきた。
ウンコの絵だった。

この子は大丈夫だ、と、ウンコの絵が心強かった!!

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娘はこの後、高校入試・・・大学受験・・・とエピソードがあるが続きはまた書きます。


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