錦鯉の住む街

会社の近くに小さな人工池があり、そこに数匹の錦鯉が住んでいる。
最近その池の存在を知ったので、年中彼らがそこにいるかはわからない。
だが、なんともまあ優雅に泳いでいるのである。
人工池の循環装置の音と、鯉が泳いで揺れる水面。
立派に都会をしている街の、小さな憩いの場である。

行きと帰り、人工池を横切るたびに、のんびり泳いでいる鯉たちに私は心の中で語りかけるのだ。
「そこから見た街はどう見えますか」
と。あと、暑くないですか、とこっそり付け加えている(なんせ今年は池のザリガニが無意識の内にボイルされるくらいの異常気象だ)。
私は糊口を凌ぐために働きに出ているので、全くもって仕事が好きではない。行きはこれから8時間以上監禁されることになる会社を恨み、帰りは無心で家路に着く。
全くこの街は私にとっては面白くなんてないのだ。

でも、彼らはどうだろうか。
人工的に作られた一角の、整備された一角で、おそらく憩いの場を盛り上げる一員として招き入れられた彼らにとっては、住み易い環境を与えられ、そして餌にも不便しない、狭いところには目を瞑れば相当に住みやすく素晴らしい環境なのではないだろうか。

いや、それも私のエゴであって、実は彼らも彼らなりに苦労をしているのかもしれない。もしかしたらもうちょっと構ってほしいのに構ってくれる人がいない、とか、一緒に住んでいる鯉がなんだか気に食わないとか、思い悩んでいるのかもしれない。日中は、暑さゆえに本当に鯉こくになりかねん、と恐怖に慄いているのかもしれない。

隣の芝生は青く見える、というが、隣はそもそも未知の世界で、どう頑張っても隣を想像する時は主観が入ってしまう。
隣に想いを馳せている時、実はその隣も隣に思い焦がれているのかもしれない。

・・・結局まあ、なんとも生物にとって生きにくい環境である。都会というものは。


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