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悲しいことがあったとき

悲しいことがあったとき

「悲しい」という感情を
これでもか、というくらい全身で感じ切ることにしている。
中途半端に「大丈夫」と思わせてしまうと
ある時その時の悲しみが、以前と形を変えてもっと重苦しいものになって襲ってくることがあるから。私自身、その苦しさを、知っているから。

泣くことはとても有意義な浄化方法のひとつ。
これも全身で感じ切るに通じるものがあると思う。

人に対して本当の意味で優しくなれる人は、悲しみを感じ切ることができる人なのかもしれない。本当の意味で、というのは、心からその人のことを想って優しくすること。その優しさには叱ることや厳しいことを言うことも含まれると思う。
自分と同じような苦しみに、大切な人ほどできれば味わって欲しくないから、時に敢えて厳しく接するのだと思う。

最近、とてもお世話になっていた方が旅立った。
私よりひと回り年上の方だが、病と闘っていることを知って、昨年会いに行った。10数年ぶりの再会だった。
その人とは私の転機となるときには不思議と直接会って話をしていた。
そしていつも背中を押してもらっていたのだ。
最期にやりとりをしたのは旅立つ半月ほど前。お互いの誕生日を祝い合った。

「まだまだ若いからね。毎日後悔のない日々でありますように。」

これほどに強く背中を押される言葉があるだろうか。
これほどに強く心が震えることも。

旅立った連絡を受けて、改めて最期の言葉を噛みしめた。
感謝とともに思い切り泣いた。

さぁ、あとは後悔のないように進むだけだ。

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