#1 癌、ガンでも、前がん状態
2018年5月のある日、
突然お腹の中で「ポン!!」という音?と共に
激痛と、いわゆる「おしも」からの
大量出血が起こった。
座椅子に座っていた私は、やっとの事で立ち上がり下を見ると座椅子がまっかである。
もちろん激痛と「おしも」から、たくさんの何か、なま暖かい液体ともなんとも形容しがたいのが、滝のように出てくる。
しばらく前から、生理のような出血が出たり止まったりしていて、
いつもの生理不順だとばかり思っていた。
夫と入籍してから、たて続けに流産もしていた。
DVが酷くて、何度もお腹を蹴られたり殴られたりしていたからだ。
だが、生まれてこのかた経験したことの無い
『非常事態、緊急性要する案件』
であることは、本能的に瞬時にわかった。
一人きりで、激痛の中、脂汗を流しながら、
すぐさま玄関の鍵を開けに行き、ヨロヨロとトイレに向かう。
ナプキンはあてがってあったがトイレに行く途中のフローリングで、あまりの「重み」で下着と部屋着ズボンがずるずる下がっていき、
下半身丸出しのまま、
ダイニングのフローリングの上で、ヘナヘナと崩れるように倒れて
スマホを握りしめたまま、意識がもうろうとしてきた。
今思うに、大量の失血に伴う血圧の低下で
極度の貧血の時みたいな状態だったのだろう。
私は夫との二人暮らしでアパート住まい。
もちろんその時夫は外出していた。
(注、現在では、「元夫」だが、あえて当時のままの時の話なので「夫」と表記)
夫は激しい逆ギレの後で、私をフルボッコにしてからすぐに、逃げるように家出してしまうのは、日常茶飯事だった。まるで人間サンドバッグである。
何を思ったのか、私は119番ではなく、夫にLINE通話してみた。私には頼れる親や親戚などいないからだ。
たまたま、通話がつながり、現状を説明しようと試みたが頭の中で話がまとまって出て来ない。
しかも、夫は「大人の発達障害」のグレーゾーンで
普段、説明してもすぐ忘れたり、理解してないことがあるので
血の海と化したフローリングの写メを撮って送信した。
夫はたぶん視覚で『緊急事態』を悟ったのであろう、119番を呼んでくれた。
だが、彼には通常の感覚では理解しがたい、
こだわりが有り、この緊急時だと言うのにすぐに帰れないという。あくまでも、ひとごとなのだ。パチンコに夢中らしかった。
私はなぜ、自分で救急車を呼ばなかったか、後悔したが、玄関の鍵をまず先に開けたのは救急隊がすぐ入ってこれるように、
と
無意識で感じて鍵を開けたのだ、と動物的カンで解った。
徐々に大量出血による脳貧血で思考がまとまらなくなり、救急隊に言葉で説明は無理かと
夫にLINEして写メを送ったみたいだ。
この場合、写メの方が手っ取り早い。ましてや夫は、普段から話をろくに理解してくれないのである。
気がついたときは、救急車の中だったが、意識はトギレトギレ。
市内の受け入れ先の病院に到着後、ストレッチャーでガラガラと運ばれ、
くすんだ色の天井、やたらとぼやけた輪郭の蛍光灯が見えて
ああ、このまま死ぬのかなあ......。
なんて考えてから
『せめて眼鏡ぐらい度の合うのを作りたかったなあ』
とも思った。夫のギャンブルの借金で家計は火の車だった。
メガネすら作れなかった。
腕の血管のルート確保のために針が刺されて生理食塩水のぶら下がった点滴用のガラガラ?も一緒について回った。
何処の病院に運ばれたのか、てんでさっぱりわからなかったが、内診でエコーを見た婦人科らしき若い医者は
「ウ~ン、ウ~ン???」と唸り
医者も原因がわからなかったらしく、再度救急車に戻されて
今度はちがう病院に行くらしい。ますます
『ただごとではない』感が。
薄れていく意識の中、やたらと急カーブの横G(遠心力)が続き山の中の道を延々と通っているのがわかる。
カーブの度に激痛で意識は少し戻され、
救急隊のかたが一所懸命声をかけ続けてくれている。
どのくらい山道を通ったのかもわからないが、
救急隊が「もうすぐ着きますから、頑張ってください!!」と言っていたが、
私は「何をどう頑張ればよいのやら」という気持ちが何処かにあった。トギレトギレの記憶ではあるが。
到着したらしく、後部のドアが開けられ、顔に雨粒がたれてきた。空はどんよりとしていた。
血圧はどんどん低下していたようだ。
エコーで胞状奇胎の子宮破裂ではないか、とのことで緊急手術となった。
エコー診察時に、とぎれとぎれの言葉ではあるが、私は説明した。(とにかく必死だった)
「お腹が急に大きくなり、出血していたけど病院に行きたいと行ったら夫がダメと言ったので今まで受診してません。」
「強いつわりがあり妊娠検査薬では陽性で、
ちなみに前の結婚で子供を産んでる経産婦です。つわりが尋常じゃないです、お腹の出っ張り具合も急激でした、ポンッという感じでお腹の中で子宮が破裂した、と思いました、何か血だけではない、でろでろしたものがとても出てきて重さでパンツがずり下がりました。」
病院に着いた安心感からか、わりとしっかり説明してたと思う。それで医師は子宮体部の全摘手術すると言ったので、承諾した。
それでエコー後、緊急手術となったのだ。
麻酔前処置をしてから、
「だんだん眠くなります、心配しないで下さいね、一緒に数を数えましょう」と言われ一緒に数えたが、なかなか眠くならず、
20も数えた頃やっとの事で意識が遠退いた。
目が覚めたとき、私の身体の中には、
もう、『子宮』は無かった。
辛かったというより、なぜか私の心の中では
『プレッシャー』、『いつものいろんな痛みからの解放』、『夫から離れられる』、『安全』
というワードが浮かんでは消えた。
私は再婚でもう40歳、10歳も年下の夫と、姑の「孫はまだか、歳なんだから奇形産むから、なんであんたみたいな年増が相手なのだ」という言葉の刃。
夫と夫の両親は、わたしを騙して入籍した。実は夫は多重債務者で、私には正社員と言ったが孫請の孫請の、派遣のしかもアルバイトで、国保も年金も税金も滞納していた。
入籍前、名刺も給料明細までも偽造して私に見せた。外部者立ち入り禁止の独身寮に住んでいた。
結婚前、私は女性特約のついているガン保険、生命保険に入っていたが、夫との生活で支払いできなくなり解約になった。
もちろん強いつわりと引っ越しで、私自身、仕事もやめざるをえなかった。
「入籍」
した途端、お金貸して、必ず返すから、の連続、結婚式も指輪もハネムーンも、約束したのに無かった。
夫は、仕事に行って来るというのに、自分で車もバイクも持たず、つわりが酷い私に私の軽自動車で送り迎えさせた。
なぜか会社ではなく、会社が借りているという独身寮という前提のアパート前まで送り迎えさせられた。
入籍前に妊娠反応があり、ファミリーカー、チャイルドシートを買うと言っていたが嘘だった。
夫は車もバイクも持っていなかった。車の免許はあった。
子供がうまれるから、車を買うと言っていた。
でも、ブラックリストで、マトモな所から
もちろんローンも組めない状態で
消費者金融からお金を借りては自転車操業していたことが後からわかることになる。
妊娠反応で病院に行った時、私は郵便局の局員で、大型二輪のの免許があるので配達担当であった。
私はバイクの運転が昔から好きだったし、手紙を書くのも大好きだったから、子供の頃、憧れていた仕事でもあった。
上司に相談すると、バイクでは妊婦は危険だから寿退社、という事になったのだ。
つわりは、元々妊娠の度に強い方だったので
局内での仕事を、と言われたけど、夫が仕事先が移転になると言うので引っ越さなくてはならず、私は仕事をそのまま続けられなかった事と
以前離婚や死産で苦い思い出があって、今度こそ幸せになりたいという思いもあった。
退社の手続きをすませ、夫(その当時は彼氏)は、
「茨城県から千葉の工場に転勤になるから、引越しをしてから入籍しよう」と言い、
自分は忙しいから部屋を探してくれ、と私に頼んできた。
話は戻るが、手術後の検査で
『侵入奇胎』が酷くなってからの、癌のような状態
という、悪性度の高いかなり厄介な状態らしい。抗がん剤をしなければならないという。
前がん状態、というので少し安心したら、大変転移しやすく、肝臓、脳、肺など、血流に乗って進行度も高い『絨毛性疾患』と言う。
まれな疾患で、治療法も確立していないらしい。
「抗がん剤の副作用、髪の毛抜けるより、吐き気とかの身体の辛さの方が嫌だなあー」
と、病室の天井を見ながら考えていた。
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