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「大学お笑いサークル36歳同窓会」を見て

いきなりタイトル関係なさすぎて何の話だと思われるかもしれないけど、僕には強い帰属意識がこびりついてしまっているコミュニティが3つある。そんなつもりはなかったのに、ほんといつのまにやらこの3つのコミュニティで精神の大半が形作られてしまった。


1つは「八王子」。生まれてから23年間住んだ街。良く知らない人には「高尾山があるところです」と言うとわりとすぐ理解してもらえる。高尾山、遠足で体感200回くらい登ったな…
まさにその高尾山に代表されるようになかなか田舎で、ずっと東京なのに東京に住んでいる感じがしなかった。遠目に大きめの公衆便所くらいの大きさしかない最寄り駅は、人が降りなさ過ぎて電車のドアが3秒くらいしか開かない。開くとうっすら牧場の匂いがする。道には普通にクワガタのメスが歩いてたし、夏、外にいたら虫が飛んできて肩にとまり、パッと払いのけたら古いホチキスくらいのクソデカいかまきりだったこともある。山と畑に囲まれていて、小学校にいくにもひとつ小さい山を越える必要があった。東京なのに田舎、という、どちらつかずの中途半端な場所で育ったことも、そんなに闘争心やハングリーさもないもののどこか卑屈な意識が育まれた、育まれてしまった一因かもな、と思う。居心地いいし大好きだけど。

もう1つが会社。世間的に体育会系なイメージで知られる会社なので、基本的に内弁慶で人見知りな性格の自分としては全く文化的に合わないと戦々恐々としていた。でも、入ってみれば意外と半々だった。大勢の社員がいるので一概に「●●な会社だ」とかって定義はしたくないしする人のことは好きになれないけど、あえて自分が思うイメージを言うと、目立つ人たちに共通するのは「目の前のことをなんとしてもなんとかする」ことに全力をかけるところ。八王子でゆったり生きてきた自分も、そういった文化には影響を受けたし、好き嫌いとかじゃなく万人が学ぶべき良い文化であると誇りをもっている。なんやかんや11年も会社にいるが、ようやくそんな意識が僕にも染みついてきた。

そして3つ目が、その八王子時代と会社員時代をつなぐ学生生活4年間所属した、大学のサークルだ。
30代も半ばになって大学時代の話をするのは恥ずかしいが、いまの自分の意識、考え方にもっとも強い影響を与えたのは間違いなくそのサークルだった。
当時僕は2つのサークルに所属していた。1つはアナウンス系のサークル。今となってはなぜ入ったかよく覚えていないが、ゆるくて楽しい素晴らしいコミュニティだった。いまも仲良い親友みたいな友人がたくさんいる。


もう1つ所属していたのが「早稲田大学寄席演芸研究会」通称「寄席研」という、いわゆるお笑いサークルだった。入ったきっかけはこちらは明確で、高校時代のコーラス部(合唱部)の先輩が所属しているとのことで入学してすぐライブを観に行って、その直後に入会した。
行く前は名前的に落語をやるのかな?と思っていたけど、いざ行ってみたら2日に分けて各日10組ほどが漫才やコントを披露する「お笑いライブ」だった。
あんなにもとてつもない衝撃を受けた表現は後にも先にもないように思う。それまでの人生で一番長く大きく笑ったのがそのライブだった。いや、その後も素晴らしい表現には何度も触れることになるけど、でもどう考えても今のところ自分の感覚としてそれが一番なんだから仕方ない。
「お笑いライブ」自体もそれが初体験だった。当時の僕は漫才とコントの違いすら知らず、「『はいどーも~』って出て来るタイプのお話と、最初から演劇風のお話がお笑いにはあるんだな…」という感想をもった。
気づけば僕は寄席研に入っていた。気づけばタバコとスーパーファミコンのマリオカート・ヨッシーのクッキーを覚えていた。気づけば舞台に立ちお笑いのようなことをたまにしたりするようになっていた。そしてその環境のなかで、その後どう頑張っても落ちることのない焦げ付きみたいななんらかの性質を身に着けるにいたった。良くも悪くも。

僕は、テレビのバラエティをほぼ全く見ずに育った。ガキ使も、ボキャブラも、みなさんのおかげでしたも、めちゃイケも、オンエアバトルも通っていない。M-1も大学入学前の数年分は一切見ていなかった。一般的にも珍しいタイプだと思う。そういったコンテンツから距離のある人生を送っていた僕にとって、「笑い」「面白」に強烈に浸かるのはこのサークルでの4年間が初めてだった。卵から孵った鳥が初めて見た生き物を自分の親だと思う刷り込みのように、僕にとっての「面白い」の初体験は寄席研だったし、面白いの基準もすべてこの4年間に作られてしまった。

当時の寄席研の基本的な活動は
・4月、6月、10月、12月の定期ライブ(1年生、4年生は3月にもライブ)
・ライブに向けた週2回の練習会(ネタ見せ)
・文化祭
・夏の病院慰問ツアー
・GW、年末の旅行
・同志社大学、法政大学との交流 
その他、個々で飲みに行ったり旅行に行ったりが頻繁にあった。

「お笑いをやっている学生」について世間の人がどんなイメージを持つか分からないけど、少なくとも自分にとってサークルの人たちはみんなとても面白かった。ネタが、よりも、普段の生活や人としての在り方がハッキリと「変」な人がたくさんいて、飲むたびにエピソードに事欠かなかった。社会に出てもう10年以上経つなかで、いまのところあんなに密度高く変な人があつまる場には遭遇したことがない。何百回もびっくりしたし、その倍以上笑った。
飲み会をしていても、ただ話す飲むではなく、ちょっとしたやりとりをそのテーブル全員で確信犯的に異常な方向に発展させていく流れが生まれるときがあって、その小さな共犯関係で作られる渦がとても好きだった。こうして文章にするとなんとも説明しづらいんだけど、そんなことがあるたびに僕たちは顔と腹の筋肉が千切れ飛ぶほど笑った。

ネタよりも普段の方が面白かったみたいな書き方をしたけれども前に書いた通りネタも面白かった。全体的な傾向として、練習よりも台本に凝る人間が多かった気がする。ハツラツとしていない、思い切りのない人間たちだからっていうのもある。なかなか練習に入れず、ギリギリまで紙と向き合っていた。設定はどんな切り口で、フリとボケはどう組み込んでいくか。自分たちの見た目や普段の性格を踏まえた時に、ネタ上ではどんな振る舞いが見る人にとってしっくりくるか。その時期はみんな寝食を忘れて紙にペンを走らせて、意見交換して、時に負けん気も出して、みんなで舞台を作っていた。
よく何かを揶揄するときに「学生レベル」って言葉が使われるけど、この「学生レベル」ってナメない方がいい。精神的な話ではなく、かなり物理的な話だ。親のスネかじって生活の不安はなく、授業もそんなにないから時間はたっぷりあり、何より体力がある。さらに僕たちは「大いなるアマチュアであれ」みたいな先輩たちから脈々と受け継がれた謎の大義とプライドでハングリー精神の無さを補い、経験と知見がないための稚拙なクリエイティビティを有り余る時間をかけてフル回転させ、芸人さんとはまた別のアプローチで、自分たちの「笑い」を全員が作っていた。もちろん甘いところなんて全然あったが、でもライブは面白かったし、何より「イズム」みたいなものが滲み出るライブだった気がする。お客さんなんて全員出演者の友達だからまぁ温かいのは当たり前なんだけど、でもそれを差し引いても、3年生の終わり頃には全員が全員、「寄席研らしさ」みたいなものの上に、さらに3年かけてようやく仲間たちに発掘してもらった「自分らしさ」を乗っけて舞台で表現して、その結果、多くの人がふつう人生で受けることのないような量の笑いと拍手を自分の身に浴びることができた。これは飲み会とかでもそうだった。
おそらくいまも顔も名前も知らない後輩たち(年代が離れすぎているから後輩と呼ぶのはもう逆に失礼かもしれない)が活動してるはずで、彼らも同じような大学生活を送っているのか、それともまったく違うのか、ほんのすこしだけ気になる。

このサークルの出身者にはなぜかメディア関連の人が多い。テレビ局に入った人が僕の前後で知る限りで10人くらいいる。出版社や芸能事務所、広告代理店、とにかくメディアやそれに距離の違い業界に行く人が多かった。ちなみに芸人を志す人は一握り。各代で特にお笑い色の強い人間がその道に漕ぎだし、みんながそれをゆるく応援する構図。
そのなかで、ライブでも飲み会でも部室でも面白くて、でも芸人になることなくテレビ局に入りディレクターとして仕事をしている先輩がいる。僕は3つ離れているので一緒にライブに出たことはないのだが、飲み会やらでかなり仲良くしてもらった。見た目はかっこいいけど異様にもの静かで人見知り。酒はほぼ飲まない。すごく後輩に優しい。でも「面白いこと」への信仰と執着が強いために、面白くないこと、状態には厳しい。そんな先輩だった。「寄席研」という場への愛が人一倍強く、イズム伝承者的な立場を謎に背負っているところがあり、そしてしつこいようだがシンプルにめちゃめちゃ面白かったため、影響を受けた彼の後輩は多かったように思う。僕もその一人だった。僕なんか大して変わったところもない普通の大学生だったので何故そんな人が仲良くしてくれてたのかよくわからないけど、おそらく逆にそんな僕を見て彼のイズム伝承者としての血が騒いだのではないかと思う。

そんな先輩が、卒業から13年を経て、まさかの「大学お笑い」をテーマにしたイベントに登壇する、との話をネットで発見した。しかもそこには当時別の大学で活躍していたあのM-1優勝者も出演するらしい。これは、と思って数人の大学時代の友人と一緒に観に行った。

「大学お笑い」というワードは近頃かなりの盛り上がりを見せているのでメディアで目にしたことがある人も多いと思う。いまやプロの世界でも、多くの大学お笑い出身者が活躍している。セミ養成所、もしくは養成所の代替のような役割として大学お笑いサークルが機能している。
あるときにお笑い好きの友人達と「大学お笑い」出身者をメモにまとめたところ、やはり結構な人たちが「大学お笑い」出身だった。アメトークの大学お笑い回の直後ツイートしてみたら、この表がプチバズった。(すこし間違ってるかも)
※8/5 とある方から抜け漏れのご指摘いただいたので修正加筆しました。

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特に、いわゆる第7世代と呼ばれる20代の芸人さんの中に大学お笑い出身者が爆発的に増えている。これは2010年頃に学生主権の大学お笑い大会が作られたのが大きいようだ。
それ以前からある程度の規模の学生お笑い大会はあったものの、大学でお笑いに関わる人たちが一斉に目指す目標ができたことは、「大学お笑い」史的には非常に大きなことだったんじゃないかと。M-1ができたことで漫才の競技化、技術の向上が起きたのと近いかもしれない。
ぼくはちょうどそれが起こる直前に大学を卒業したので、あまりその動きを体感することはなかった。でも、そんな大学お笑いブーム前夜のちょっとしたざわつきはなんとなく横目で見ていた。厄介な大人が特殊な嗅覚で学生に近づいて搾取したり、学生のお笑いをテーマにしたテレビ番組なんかも出始めたりしていたときだった。

話をトークライブに戻すと、出演していたのは僕の2,3個上の人たちであり、世代的には同じ。つまりいま盛り上がっている「大学お笑い」とは、「大学でお笑いをやっている」という共通点はあれど同じ意味合いでの「大学お笑い」で括って良いかどうか正直疑問なメンバーで、ご本人達もそこに戸惑い、遠慮しながらお話されていた。そしてガッツリの大会もなかった頃なのでお互い大学時代の交流もほぼなく、共有する思い出もそんなにない感じで、妙な心のディスタンスを保ちながら会が進行されていた。
でも、それが逆によかった。僕にとっては、それがリアルに共感できる空気感だった。

大学でお笑いをやっていながら、僕は学生当時ときどき耳にした「大学お笑い」という言葉が好きではなかった。20そこそこでプロで活躍してる芸人さんもたくさんいたし、わざわざプロより一段二段下げた雰囲気のカテゴリーをつくりそこに自分たちをはめこんで、プロの芸人の真似事、馴れ合いっぽいことをする空気が気持ち悪かった。
なんとも言語化が難しい感覚なのだが、たしかぼくは当時、「お笑いをやっている」ではなく「寄席研をしている」という以上でも以下でもない感覚で日々を過ごしていた。そもそも「お笑い」好きではなかったのも影響していたかもしれない。プロの芸人さんはもちろん超面白いし到底マネのできるものではなかったけど、自分にとってはそもそもプロのようになる必要がなかったし、おなじ線の上にいると思っていなかった。別ジャンルでたとえようのない感覚で、プロ野球選手と高校球児の関係ともだいぶ違う。とにかく、「大学お笑い」が醸す”プロの卵”感と、僕にとっての「寄席研」はまるで別物だった。
自分たちを特別と言いたいわけではなく自然にそう思ってただけなんだけど、それでいて、あえて「大学お笑い」的な世界に「寄席研」の自分達が出ていってかき回したらちょっといいかも…とか余計な事考えて大会やら出てみたことも何度かあった。でも、たいていはアッサリ負けて情けない気持ちになった。そんななか実は一回だけ優勝できたことがあって、お笑いに関してはその思い出にしがみついて今日を生きている。

トークライブはそんなことを思い出しながら聞いていた。各大学のお笑いサークル出身者について。大学生向け大会の変遷と主な優勝者。それぞれのサークルの文化の違い。
やっぱり遅れて登壇したM-1王者は空気変わるくらい面白かったし、もう一人の芸人さんもさすがだった。そんななかで、よく知っている先輩が、15年前に汚い畳の居酒屋で朝方に薄いお茶飲んでたときと同じくマイペースな話し方の寄席研の先輩がステージと会場の人たちを笑わせているのを見るのは、タイムスリップみたいな妙な感覚だった。しかし彼はいまや人気のオモシロ番組を何本も作っている(やっぱりどこか寄席研臭がするけど。)。一方、当時一切彼女ができたことのなかった僕は結婚して娘もいる。なにも変わっていないようで、確実にお互い状況も立場も変わっている。


そんなライブだったんだけど、一番最後、M-1王者が話していたことが個人的にとても印象的だった。

「大学お笑い出身でプロに入ってくる若手に話すのは、ネタもそうだけど、何より人間としてちゃんと面白くあったほうがいいよ、ってことなんですよね」

実際に「大学お笑い」出身者で人間として面白い芸人さんが少ないのかどうか僕は知らない。たぶん普通の人より全然面白いと思う。でもこの発言は、その言葉の意味以上に、見えにくいところで僕にとって大事な部分を含んでいた。いや、勝手に僕がそう受け取ってしまっただけなんだけど。

おそらく彼が過ごした大学時代とここ数年の「大学お笑い」の空気の間には、小さいような大きいような違いがあるんだと思う。彼は、体力も時間も有り余ってた大学時代数年間という時間を、競技的な「大学お笑い」ではなく、ただただ「おもしろいこと」「おもしろくあること」にフルで賭けていたんじゃないかなと。さらにそれが、プロの場での成功になんらか繋がっている感覚があるんじゃないか。つまり「大学生でお笑いをやっている」ことで傍目には同じように見えても、活動目的の置き方がまったく違ったんだろう。
僕は大学時代に彼みたいに活躍していないしいま普通の会社員をやっているけど、でも学生時代にお笑いをやっていた時の目的の置き方、価値観みたいなところについて、ほんの少ーしだけ繋がる点をその最後の一言で勝手に感じてしまった。大学卒業するときには社会人としてやっていける自信なんか微塵もなかったけど、いまギリギリいつも踏みとどまっていられるのは、わりとこのあたりのマインドが支えてくれているからなのかも、と思ったり思わなかったりしている。M-1という最強の舞台で優勝した人とそんな価値観が一部一致できた(気がした)ことは、ここまで書いた流れとは矛盾するようだけど少しだけ嬉しくて、それだけでもこのイベントを見て良かったと思えた。一方的な自分の勘違いと思い込みだとしても、それはそれでいいや。


と、内容よりもだいぶ自分の思い出を振り返るかたちになってしまったけど、イベント自体とてもおもしろかったです。大学お笑いの歴史や価値観の変化、出身者の年代ごとのマインドの違い、とか、まとめた本が出たら100万人は絶対ムリだけど1000人くらいはめちゃめちゃ喜ぶと思うので、是非誰かまとめてほしいです。僕もあわよくば手伝いたい。

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