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イノマー

どんな人でも、人格形成にあたり影響を与えられたと思い当たる人が何人かいると思う。家族友達先生っていう身近な人だったり、テレビに出ている芸能人だったり、小さい頃に読んだ本の作者だったり。
僕にも、強烈に価値観を変えさせられた人が何人かいる。小さい頃からマンガ、お笑い、音楽とかってエンタメが好きだったから、身近な人以上に、そういう作品を通して影響を与えられてしまった人が多い。
そのなかでも僕が10代の多感・敏感な時期に大きな影響を受けてしまったのが、オナニーマシーンというしょーもない名前のバンドのベースボーカル、イノマーだった。


中学高校くらいのとき今は銀杏BOYZ、当時GOING STEADYの峯田さんに大ハマりして(だから峯田さんにもめちゃめちゃ影響受けてる)、そこから、峯田さんと交流のあるイノマ―さんにたどり着いたんだったはず。
当時まだ10代だったしライブこそ行ったことはなかったけど、オナニーマシーン、通称オナマシのCDは全部持っていたしイノマ―の出した本も持っていた。ブログも毎日読んでいた。イノマ―は常にしょうもないエロいことに命を賭けていて、それがアホらしくて大好きだった。AV監督デビューまでしてたな…でもAV監督になったことよりも、もう少し若い時に性への興味が行くところまで行ってある医学書をなんとかして医者の友達に手に入れてもらおうとした、みたいなエピソードがすごい好きだった。
あと、オナマシは普通に曲が歌詞もメロディもめちゃめちゃ良かった。手法は下ネタだけど表現は素晴らしかった。当時のメロコア→日本語パンクの流行に乗ったこともあってかなり売れていたと思う。全然人気が出る前のサンボマスターとスプリットシングル出してたなぁ。サンボマスター知ったのはオナマシ入口だった。あとSEAMOも当時シーモネーターって名前でオナマシとスプリット出していた。スプリットの相手がガンガン売れていくのも面白かった。

本だと、峯田さんとイノマ―の「真夜中のふたりごと」っていう本(たしかラジオもあった)が特に大好きで、普段そんな本を読まない僕も何回も読み返していた。ちなみに10代の時に読んだ本って何冊かしかないけど、強烈に印象残ってるのはこれとグミチョコレートパインくらい。だいぶここで心が歪んだ気がする。
イノマ―は音楽雑誌の人だから、音楽に関する記事が本当に面白くて、文章も楽しかったから夢中で読んだ。スターリンもピーズもブルーハーツもハイスタもイノマ―の書いた記事で知って聴くようになった。スターリンのライブの回想記事が生々しくてとても衝撃を受けたのを覚えている。

イノマ―の文章や音楽は自虐的なことが多いけど、不幸を笑いに変える強さがあって、何か不自由があるわけでもないけど何か常に悶々としていた僕はどれだけ精神的に助けてもらったかわからない。たくさん共感したし、たくさん共感してもらえた気になっていた。イノマ―のおかげで、イノマ―のせいで今の僕があると思っている。

そんな多大な影響を受けたイノマ―だけど、僕は自分が20代に入るころになるとそこまですべてを追いかけることはなくなって、社会人になったらほとんど見ることはなくなった。理由はなく、なんとなくだ。さらになんとなくで数年前に「どうしてるんだろう」と思ってふと調べたら、「体調悪い」みたいなことたくさんブログで言ってて心配だった。

そしてまたしばらく経ってからふと見たら、舌ガンになっていた。


そしてまたふと見たら、死んでいた。


舌のガンを切除した後、再発したらしい。
亡くなる少し前に豊洲PITでライブをやっていたと知って、行きたかったな、と後悔した。ただ、この頃は自分が仕事が切羽詰まっていたこともあり色々なことを考える余裕がなく、「そうなんだ…」とだけしか思えなかったところがあった。

それからしばらくたって、2021年の年明け早々に、なんとイノマ―のドキュメンタリーが地上波で放送されることを知った。はじめはなんの気なしだったけど、結果的に食い入るように見てしまった。
番組は、「家、ついて行ってイイですか?」という超ポップなバラエティ。オナニーマシーンっていうバンド名も、イノマ―のやってきたことすべても、ガンで死んだってことも、全部が全部この番組にはそぐわない。お茶の間の不意を突きすぎ。

でもこのドキュメンタリーがとてつもなく壮絶だった。かなり話題になっていたから、イノマ―をもともと知っていた人はもちろん知らなかった人も衝撃を受けたんだと思う。これは絶対見るべきでもあるし、見ない方がいいようなものですらある。「エンタメは、触れてしまったら触れる前の自分には決して戻れない」っていう話を聴いたことがある。僕はイノマ―に触れたことで触れなかった場合の自分、人生を歩めなくなったし、また、このドキュメンタリーも同様で、これを見なかった場合の人生にはもうならない。「おもしろかった」「感動した」って一言だけで整理できるものだったら良かったのに。でも僕は、イノマ―が人生にインストールされすぎていることもあって、この番組が頭と胸に重たく突き刺さってしまった。

番組は、まずは普通に「家、ついて行ってイイですか?」の1エピソードとして始まった。下北沢でたまたま声をかけた人たちが、葬儀終わりのイノマ―の奥さんと親友たちだった。この時の撮影者の人はそれがそこそこ有名なバンドマンとは気づかず家まで行って取材していた。家のグッズ類にある「オナニーマシーン」っていうバンド名とかを見てスタジオの人たちがワイプで笑っていたのが印象的だった。人が死んでるのに笑


そこから、実はイノマ―が亡くなる直前、同じテレビ東京のディレクターが密着してカメラを回していたことが紹介され、突然壮絶なドキュメンタリーに切り替わる。


ドキュメンタリーは、2019年10月、結果で見れば亡くなるたった2か月前、に開催された豊洲PITでのライブ、そしてそこからの死、に至るまでの記録だった。

打合せ、バンド練習、ライブ、闘病。
舌がなくなり、顔が腫れ、体をすくめているイノマ―は僕が10代の時に見ていたイノマ―ではなくて、でもイノマ―であり、毎秒しんどかった。当時から自分をおっさんバンドマンと称してしょうもない人生だ、みたいな自虐をしていたから、そういう意味ではまさにイノマ―ではあったんだけど、でもそれはイノマ―すぎた。そして、オムツいっちょでステージで暴れまわるイノマ―では、もうなかった。
峯田さんが開催したイノマ―の治療費を集めるライブで、空気階段の鈴木もぐらさんがオナマシの「I LOVE オナニー」を歌っていた。もぐらさんは年齢で僕の一こ下だから同世代。もともと峯田さんの大ファンだし、オナマシもずっと見てきてたんだと思う。すごく良い顔で歌っていた。


豊洲PITでのライブ。渋谷ラママってライブハウスで定期開催されていた「ティッシュタイム」というライブの、オナマシ20周年特別編。キャパ3000の大きめのライブハウス。なんだけど、メンツがすごい。氣志團、サンボマスター、銀杏BOYZ、ガガガSP、そしてオナニーマシーン。30代の僕からすると10代にたくさん聴いていたバンドばかり。氣志團との接点は不思議に思う人も多いかもしれないけど、実は彼らは売れるだいぶ前からイノマ―と交流があった。そう考えるとほんとイノマ―すごいな。

どのバンドもきっと盛り上がったんだろうけど、番組の編集上で長めに取り上げられていたのが銀杏BOYZの「駆け抜けて性春」だった。僕も当時一番好きな曲だったので嬉しかったし、タイトルもメロディも、この番組とオナマシ20周年記念にぴったりだった。

このそうそうたるラインナップのあとに出てきたのがオナマシ。3000人の怒号のような「イノマ―」コールに、車いすに乗ったイノマ―が舞台袖で照れくさそうに「いやいやいや…」と手を顔の前で振っていたのが面白かった。
車いすでステージに出ていき、震える足で車いすを降りて笑顔でゆっくり両腕を掲げるイノマ―。視界がはっきりせず、さっきまで楽屋で息も絶え絶えだったところから。それを袖から見守る峯田さんの、ステージを睨みつけるようにして涙をこらえる表情。


「舌ないけど歌います」


「笑って 笑って 笑ってよ。いいじゃん、こんなの笑っても、もう 余命なんて俺が決めることなんだから」


ネットでセットリストを確認したら、絞り切られたオナマシの代表曲ばかりで懐かしかった。オナマシの曲は全部が全部、メロディはポップなんだけど歌詞は寂しかったり自虐だったり、無理やり空元気を振り回すような内容でそこが大好きだったのを思い出した。イノマ―はまさにそんな感じの人で、人生そのものでそれを表現していたように思う。
オナマシはどれも名曲なんだけど、オナマシの「ソーシキ」っていう曲が大好きでよく聞いていた。自分が死んでも結局好きなあの娘は彼氏連れて自分の葬式に来て、で、帰ったらセックスするんだろう、みたいな悲しい歌なんだけど、メロディは超ポップ。
でもこの曲をイノマ―は豊洲PITでやらなかった。もしかしたら、激しい曲だし体力的に持たないから外したのかもしれない。けど、僕は、この曲をこの場でやらなかったのは、イノマ―の中でなんらか別の理由があるんじゃないかとか余計なことを考えてしまったりもした。本当のことはしらない。


アンコールの「オナニー」コールに対して、ステージ袖で四つん這いになりながら「聞こえない!」「もっとできる!」と、大声で叫ぶ。その会場の誰よりも文字通り「瀕死」のはずなのに。またステージに出て行って、最後までライブをやり切った。

ステージを降りたイノマ―は楽屋で峯田さんとガッツポーズしていた。「命を燃やす」って、使い古された表現だけど、本当に命を燃やしている人の姿を見たのは初めて。ボロボロなのにめちゃめちゃかっこよかった。


それから1か月経ち、イノマ―は意識不明の危篤状態になった。
もう長くないかもしれない…というときに、親友の峯田さんが病室を訪ねる。峯田さんが声をかけた瞬間に身体が反応して、イノマ―さんが峯田さんに抱きつく。人間の強さというか、不思議というか、なんだろうな。鳥肌が立った。そしてこんな瞬間までカメラに収めているほど密着しているディレクターもディレクターだな…ずっと献身的に支え続ける奥さんも含め、褒め言葉として、画面にいる全員ヤバい。

意識を取り戻したイノマーのところに、もう1人訪問者があった。江頭2:50。イノマーの交友関係どうなってるんだ…たしか江頭さんもオリコン編集長時代の付き合いだったと思う。
テレビで見せるメチャクチャな姿とは違う、でも確実にその延長線上にある穏やかな態度でイノマーと話す江頭さん。


「イノマー、こんなので負けてられっかよ 頑張れよ、頑張れって言葉、一番嫌いだと思うけど」


「頑張る」


11月の誕生日には念願の退院ができたものの、そのあとまた入院。一度退院できたことがむしろ奇跡だったんだと思う。

そして、2019年12月19日、まさかの親友の名前にある「2:50」に、イノマーは亡くなった。
亡くなるその瞬間まで、カメラは回り続けていた。


番組では、この映像が流れたあとスタジオトークで香取慎吾さんがいて、「イノマーさんが〜」と語っていた。これがとても不思議な感じだった。あの香取慎吾が「イノマー」って名前を口にしている。自分と同じステージに立つ表現者として、オナニーマシーンのイノマーの話をしている。オムツや全裸でオナニーオナニー歌ってたおっさんに、香取慎吾が共感して、感動して、言葉を選んで話しているという現象は不思議だった。



だいたいそんな内容だったんだけど、とにかく衝撃的な番組だった。
「家、ついて行ってイイですか?」でたまたま取材した人が葬儀終わりのイノマーの奥さんで、イノマーの死の間際を追いかけていたディレクターがたまたまテレ東にいて、それが合わせて放送された…っていうのはどこまでが偶然で、どこまでが計画だったんだろう。わからないけど、たぶんディレクターの上出さんは明確な放送予定はないまま仕事のような仕事でないようなかたちで追っかけていたんじゃないかなと思う。


そう、上出さんは「ハイパーハードボイルドグルメリポート」っていうトガッた番組で有名なディレクターさんで、前から名前は知っていた。番組だけでなく本も出している(その後書きに今回のイノマーの件も書かれている)。大橋未歩さんの旦那さんっていうイメージもある。
上出さんとイノマーさんの関係については、ドキュメンタリーの序盤で触れられていた。上出さんが中学生の頃にイノマーにバンド名をつけてもらったらしい。「タンポンズ」っていうクソみたいな名前。

それを聞いた瞬間、僕の中で、10代の頃読んだイノマーのブログの記憶と、「テレ東にトガッたDいるんだなー」とだけ思ってた上出さんがいきなりリンクした。僕は上出さんのことを、イノマーのブログで一方的に知っていた。彼も僕も10代の頃から。アレでしょ?イノマーにバンド名つけてもらったら「タンポンズ」ってダサい名前で、せめて少しでもかっこよく見せたくて「TangPong's」みたいな表記にしてたあの中学生でしょ??「かっこよく見せたかったんだと思う」っていうのもブログ内でのイノマーの邪推だけど。
僕の中のイノマー関連の思い出と上出さんが繋がったことで、勝手に嬉しかったし、勝手に親近感を覚えた。そしてカメラでイノマーを追いかける彼に勝手に感情移入した。
最後、ご臨終の時あわててカメラをベッドに置いていた上出さん。どんな気持ちでカメラを回していたんだろうな。上出さんもまた僕と同じように、いや当然僕なんかよりずっとイノマーに人生をブラされた1人だったんだろう。



冒頭で、僕はイノマーから人生に多大な影響を与えられた、みたいな事を書いたけど、実は僕はイノマーから直接的に助けられたことがある。
一度だけ、イノマーとやりとりをしたことがある。詳しくはこの20年間誰にも言ったことなかった。

当時10代だった僕は、何ということもなく日々、鬱屈としていて、毎日が意味なくしんどかった。何やってても未来が明るく思えなかったし、彼女もおらず勉強もできず運動もできず、胸のあたりがずっと重かった。そんな時に、激イタ学生だった僕は、ものすごい長文のメールをイノマーに送りつけた。
イノマーは当時、携帯番号とアドレスを公開していて誰でもメールを送ることができた。たしか番組で言ってたけど、イノマーの奥さんもそこにメールしてイノマーと知り合ったんだったと思う。
当時の思いとしては神社のお参りみたいなもので、本当にイノマーが読むとは思っていなくて、イノマーはCDの盤面の向こう、本やブログの活字の向こうの人で僕の声は届かないもんだと思ってメールしていた。通常、メールには返信をしてないって言ってたし。

でも、なぜかイノマーは僕に返信をくれた。

そこには6文字だけ



がんばるな!



って書いてあった。

メール見た瞬間、背中から口の中までが痺れた。今でもその瞬間を覚えている。八王子駅近くのコンビニにいた僕は、特に用事はなかったけど何も買わずに店を出て、興奮気味に自転車を漕いで家に帰った。
意味はおそらく「お前はそのままでもいいから変に頑張ったりすんな」みたいなことだったのかなと思う。
その言葉が当時の僕にとってどれだけ嬉しかったか。どれだけ救われたかわからない。どうでもいいことで悩んでいた僕は、その後の人生もいろんなもっとしんどい状況で悩むことにはなるけど、でもその時はたしかにその6文字で生きられた。


だからこそ、病院を訪ねてきた江頭さんとのやりとりが響きすぎた。イノマーさんは「頑張れ」って言葉が嫌いだろうと理解している江頭さんと、それでも、死ぬ間際に置かれて「がんばる」と言ったイノマー。

「がんばるな!」っていう特殊な言葉で僕を助けてくれたイノマーが「がんばる」と呟いていたのは、それは死に際した人の心情の変化なのか?心が弱っていたのか?
僕は、がんばるな!って言えるイノマーもがんばるって言えるイノマーも、意外とどちらも地続きにあるんじゃないか、と思う。少なくともどちらも、イノマーっていう1人の人から出てきた言葉として、確実に地続きだ。


あのメールをもらってから20年経って、僕は会社員になり、普通のおっさんになった。当時メールをくれたイノマーとそんなに変わらない。イノマーは当時「おっさんバンドマン」みたいに自虐しまくってて僕もそう見てたけど、いざ自分がなったらまぁおっさんではあるけど、そこまで年でもないじゃん。傷つけないでよ。
いまはそこそこがんばってるけど、たまにがんばらなくていいやって思っちゃう時もあるよ。イノマーのせいなんじゃないかな。




そんな風なことを考えながら見ていたら、途中からずっとボロボロと泣いてしまった。だけどこれが感動からなのか、悲しいからなのかはよくわからん。でも少なくとも同情ではなかった。

本当にキツいけどとんでもなく良いドキュメンタリーだった。


イノマーさん、あの時はメールありがとうございました。おつかれさまでした。タンポンズの人が作った番組、面白かったです。
タンポンズの上出さんもありがとうございました。これからも面白テレビたくさん作ってください。

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