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こんな日ぐらい昔の話を

いつも思い出してる訳じゃないんだけど。
こんな日ぐらい昔の話を。

こないだおじいちゃんとおばあちゃんの話、私の家の話を書いたんだけど、そしたら色々思い出したんだ。

左が祖母、真ん中が祖父で右が曾祖母。
テルさん、ヒデオさん、シカさん。

昔の人ってなんで紋付を合成してるんだろうね。本家の仏間にいくつも並んでる遺影もみんな紋付着てたよ。

ひいおばあさんは私が生まれて1ヶ月後に亡くなったんだって。おじいちゃんと同じで全然話にでてこない。やっぱり亡くなった人の話ってあんまりしないんだね。
そんな中でも父からきいたのはこれぐらい。

 昭和天皇と同い年生まれなのを自慢にしてた
 養老渓谷からお嫁にきた
 子どもができなかった
 ちょっと気難しくて病弱であんまり外には出なかった

息子が自分より先にいくってのは、しんどいもんがあったんじゃないかと思う。完全に私の想像なんだけど。

今になって、ひいおばあさんも大変だったんじゃないかと思うんだ。

養老渓谷って実家から山ひとつ向こうの隣町なんだけど、よく出かける市内と違って別の世界みたいな感覚が私の中にあるんだよね。
養老渓谷にいく道は舗装されてるとはいえ、今でもなかなか険しい林道で、当時は行き来するのだってそうとう大変だったんじゃないかな。現代を生きる私だって別世界感を持っているんだから、お嫁にきた当時はもっとその感覚が強かったんじゃないかと思う。小さな村だから。ソトから来る人は珍しくて、きっと…ヨソモノ扱いはあったんじゃないかと思うんです。
田舎ってそういうとこあるでしょ?元から住んでる分にはいいんだけど。


ましてや子どもができないってなったら、色々言われたんじゃないかな。


おばあちゃんの葬式のあとに父から聞いたんだけど、ひいおばあさんはもう一人養子もらってたんだって。自分の妹も近所にお嫁にきてて、そこに生まれた娘を自分の養子にもらったんだって。
会ったことも聞いたことも無かったから、びっくりした。
その人はひいおばあさんの葬式に来たのが最後で、それっきり縁を切っちゃったんだって父は言ってた。
「煩わしいから籍をぬいた」って向こうから。
今はどこに住んでるんだろうね。


でも、ヨソモノっていったらおばあちゃんなんか沖縄の人だからね!
終戦後だったらえらいめずらしかったんじゃないかな。石女のヨソモノのとこに、更にヨソモノのオキナワ人の嫁がきた!みたいな。
おばあちゃんえらい負けん気の強い人だったから、ひいおばあさんのとこにくる戯言は全部ふっとばしてた気がする。つえぇ嫁さんがきて、ちょうど良かったのかもしれないね。

負けん気といえば本家のおばあさんから聞いた話なんだけど、この人はうちのおばあちゃんとめっちゃ仲良くてさ、話してくれたんだけど。

おじいちゃんが海で溺れて亡くなったあと、近所の人に「片親のくせに見栄張って高校なんかにいかせて」って陰口叩かれたんだって。
おばあちゃん烈火の如く怒ってね、潜りでめちゃくちゃ稼いで、私の伯母さんたちはどこにいっても恥ずかしくないようにってお華でもなんでも習わせたって言ってた。

おばあちゃん、お嫁にきてから1回しか、沖縄の海洋博のときにしか、里帰りしてないんだって。父たち姉弟が社会人になってから3人でお金出して、沖縄いってきなよっていかせたんだって言ってた。
なんで帰らなかったのかなと思ってたけど、そうだよね、帰る暇なんかなかったよね。

なんか、おばあちゃんとひいおばあさんの話ばっかりになっちゃった。


そうそう、大学のとき夏休みは実家に帰ってきて、母がバイトしにいってた民宿の手伝いしたことがあったんだ。
そこやってたおじいさんが、うちのおじいちゃんと同い年だったの!
旧制の中学に一緒にいってたんだって。おじいちゃんがおばあちゃんより3つ年上ってのもこのとき初めて知ったんだ。

民宿のおじいさんが、おじいちゃんとの頭が良かったとか足が速かったとか、昔の思い出を楽しそうに話してくれて、なんか泣きそうになっちゃったんだよね。
帰りは余った白飯をこれでもかというぐらい持たせてくれて、頂いたこととおじいちゃんの話を聞いたことをおばあちゃんに話したら、おばあちゃん、懐かしそうな顔して「そうか…」って言ってたんだ。

おじいちゃんはどんな思い抱えて、生きてたのかな。


昨日は8月1日。
祖父の57回目の命日だったから。

こんな日ぐらい昔のはなしを、ね。

最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!