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マリンバに人生をみた

マリンバと私     安倍圭子
幸せだったからマリンバがあった
孤独だったからマリンバがあった
哀しかったから、矛盾だらけに傷ついたから
さまざまな欲と葛藤する自分があったから
マリンバがあった

「たかがマリンバ」
「古今の名曲を弾くだけでよいではないか」
「打楽器のマリンバでよいではないか」
みんなの声がきこえてくる

私のマリンバは違っていた
この楽器で魂を語りたかった
音楽を、人生を語りたかった
みんなとマリンバ音楽の感動を共有したかった

未来にむかってマリンバ音楽の可能性を信じた
作曲家がいた
演奏家がいた
聴衆がいた
一滴の雫は流れだした
小さな流れは河となり海へと向かった
世界の流れとなった

木の音板に音楽の魂をふきこんで
多くの人と共感できる
生きた音楽を演奏したい
マリンバは私の魂だから
人生はマリンバと共にある

https://www.t-bunka.jp/stage/5074/より

もう二ヶ月たってしまったが、日経ミューズサロンガラ・コンサートに出かけマリンバ奏者 安倍圭子さんの演奏を拝聴した。

マリンバと触れ合ったのは小学生の合奏の時間くらい。
いつも吹くピアニカやリコーダーより、普段触ることのできない小太鼓やマリンバが人気だったこと覚えている。

小学生でも音を出せる簡単な楽器。

そんな記憶をくつがえすような演奏がそこには在った。

見たこともない形のマレット。
力強い打鍵。
柔らかく、そして意思を持って届く音。
右へ左へ80歳を超えているとは思えないその動き。

マリンバに選ばれた人。
マリンバと共に生きる使命を持った人。
そして、共に生きることを決めた人。

マリンバは彼女の手であり足であり、言葉であり歌であり、人生だった。
音楽が身体を通って出てくるってこれか。


この世の真実って殻に覆われた球体のようだと思う。
光の当たり方も違うから、見る角度によって同じものを見ていても解釈が違ってくる。
同じものを求めても、それぞれの場所からそれぞれのやり方でアプローチをする。
同じベルカントという歌い方を目指していても、体格や声質、体のつくりが違うから探求方法が違ってくる感じと似ている。

殻に覆われた光の球体のひび割れから、ときおり真実の光がのぞくときがある。
その光を拾って譜面に書き落としたものが音楽ではないか。
モーツァルトもベートーヴェンもこぼれ出る真実を掬い上げていたのだろうか。
我々演奏家はそれを多くの人の耳に届けるために存在しているのかもしれない。

*************

恥ずかしながら安倍圭子さんを存じ上げなかったのだが、ものすごい人だった(語彙力)

プロフィール
国際的マリンバ演奏家。演奏活動は世界50ヶ国に及ぶ。
マリンバの新たな奏法を次々と開拓しながら音楽表現の幅を拡げ、数多くの作曲家への委嘱活動を実践すると同時に、安倍自身のオリジナル作品も生み出すことにより、マリンバを独奏楽器として確立させてきた。演奏の場は幅広く、ソリストとしてオーケストラや室内楽、打楽器合奏団やジャズ奏者との共演等、ジャンルを超えたユニークな活動が注目されている。強烈な集中力を持った自由自在な表現力は、芸術性の高い独自のマリンバの世界を築き上げ、音楽史上に残るアーティストとして世界各地で絶賛され、確固たる評価と地位を得ている。

桐朋学園大学特任教授、名古屋音楽大学大学院客員教授。

シュツットガルト音楽大学ビジティング・プロフェッサー。
元ユトリヒト音楽大学客員教授。
主な活動
1981年より、毎年欧米コンサート・ツアーを、1987年より国内コンサートツァーを行う。’81カーネギー大ホール、’84コンセルトヘボー・ホール、’90シャウスピール・ハウス、’02年 ウィーン・コンツェルト・ハウス(大ホール ) 等、その他世界の著名なコンサートホールで演奏。
現在までに、パリ国立音楽院、イーストマン音楽院、リスト・アカデミーをはじめとする世界の90校以上に及ぶ音楽大学でマスター・クラスを指導。
発売されているCD、ビデオ、DVDなど、30タイトル以上。
世界初演した作品は「トルスⅢ」「マリンバの時」「ラウダ・コンチェルタータ」他170曲以上、自作品は「桜の幻影」「竹林」「わらべ歌による譚章」「プリズム・ラプソディー」他78曲以上。現在世界中のマリンビストに演奏され、好評を得ている。
出演したフェスティバル:ヘルシンキ・フェスティバル、ベルリン・パーカッション・フェスティバル、ウィーン・サマーフェスティバル、ストックホルム国際打楽器音楽祭、ウィーン国際打楽器フェスティバル他、50箇所以上。
マリンバ協奏曲のソリストとしてオーケストラとの共演は200回以上。
ソロ・コンサートは自作品のみのリサイタルを含め3000回以上。
室内楽コンサートは500回以上。
ジャズ・ミュジシャンとの共演は50回を越す活動を行ってきている。
ーーオフィシャルサイトより引用


昔と比べて今の私たちはたぶん何でもある。
マエストロとよばれる人の素晴らしい演奏を聴くこともできるし、YouTubeでもストリーミングでもどこでだって音楽にふれることが出来る。
西洋の音楽も身近になったし、演奏会に出かけることも容易だ。海外にいくことだって昔に比べたらきっと簡単。
この恵まれた環境で、先人が命懸けで繋いできてくれたもの、私もなにかしらその流れの一つになり紡いでいきたい。


冒頭の詩は10月16日に開催された安倍圭子さんのリサイタルのフライヤーに載っていたものだ。
日経ホールで演奏を聴き、ぜったいリサイタル行くぞ!予定調整するぞ!と意気込んでいたのに、日々の雑用に追われ思い出したときにはチケットが完売していた。馬鹿やってしまった。。
こちらでリサイタルに関するインタビューが見れるので是非。

次は絶対にいくんだ!安倍圭子さんの演奏を聴きに。


Twitterでながれてきた言葉。

ありとあらゆることが原因で生じる感情をそのものを表す。
全て、音楽にすれば美しい。

今日も音楽に感謝を。

最後までお読みいただきありがとうございます。娘のおやつ代にさせていただきます…!