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インド旅行記 ー はらいそ通信 - vol.5

『この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。だれからも自分は必要とされていない、と感じることです。』(マザー・テレサ)


「経王寺の旅行は、普通の旅行では味わえないオプションが売りなんです」って、いつも言ってきた。確かに過去の団参(団体参拝)において、旅行会社の企画とは違い、特別にご開帳やご祈祷を受けたりしてきた。だから、今回のインド旅行も他とは違う企画を考えていた。それが「マザーハウス見学」だった。

マザーハウスはマザー・テレサがコルカタで始めた活動。「死を待つ人々の家」というホスピスを開設したのがはじまりで、路上やスラムで死ぬことを待つしかない人が安らかに死を迎えることのできる家を作った。また捨てられた子供たちを発見し、つれて帰ったのが始まりの施設もある。

路上の死者の驚きもおさまらないうちにマザーハウス見学はハードだなぁ、と幾分食傷気味。正直、ホテルで休もうよ、って思っていました。しかし、二度とないこの機会を逃したら、何のためにインドまで来たのか分からない。よーし、こうなったら、とことんインドを堪能してやるぞ、って意気込んで、いざマザーハウス到着。入り口の表札にマザー・テレサって書いてあって「IN」となっている。マザー・テレサはここにいますよ、っていう意味らしい。建物の中にマザー・テレサのお墓があるそうである。

しかし、インド人のガイドのチョハンさんがシスターと何か深刻に話していて、なかなか中に入れない。どうしたのかと思っていたら、シスターが亡くなり、今葬儀の最中だと言うのである。死を待つ家で、まさに死の直面に出会うなんて出来すぎ。施設の見学は諦めてほしいが、マザー・テレサのお墓はお参りできるというので、中に入れていただく。

コルカタの街の喧騒とは打って変わり、ブルーのベールがかかったように、建物の中は静かな悲しみに満ちていた。私たちは、厳かな気持ちで一つの建物の中に入った。そこには、黄色い花が乗せられている白い大きな大理石の棺が置かれてあった。マザー・テレサの棺である。中にマザー・テレサがいる。私たちは、跪き大理石に触れてみる。ひんやりとしている。10年以上前に亡くなったご遺体がこの中にあるのかと思うと、ちょっと違和感を覚える。日本は現在、ほとんど火葬だから、エンバーミング(遺体を消毒や保存処理、また必要に応じて修復することで長期保存を可能にする技法)には、何となくなじみがない。しばらくそこにいてから、孤児院に向う。

孤児院は別の建物にあって、年齢別に部屋が分かれていた。数名のヨーロッパ人夫婦が子どもたちと話したり遊んだりしていた。マザーハウスはボランティの方が沢山いて、日本からもボランティアツアーもあるそうだ。だから、その人たちもボランティアだと思っていたら、養子縁組の面接をしていると言う。ヨーロッパでは養子縁組がステイタスだそうだ。それはいいことなのか、どうなのか。誰が答えられるのだろうか。少なくとも、子どもたちは、望まれて新たな親元に行く。養子縁組を必要としている人もいるのは事実である。

さっき、路上で死んだ母親にすがり付いていた、あの幼子もいずれここに来るのかもしれない。幸せっていったいなんだぁーと、叫びたくなる。コルカタに今日も真っ赤な夕日が沈んでいく。


to be continued
大乗山 経王寺「ハスノカホリ no.43」より


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