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私の中の奥深い消えない記憶


※これを実際に書いたのは、数ヶ月前。
ここに書いたことによって(下書きのままだったけど)、
私の中の流れが変わりだしました。
インナーチャイルドで困ってる人は、こうやって
吐き出した方がいいかな、って思います。👇
 
 

インナーチャイルドって知ってますか?
 
私は数年前に知ったばかり。
母が亡くなってから。
 
 
私が旦那さんとの関係で生きづらかった根っこが
ここだったと分かってから、さらにしんどかった。
フタをしていた記憶が鮮明に思い出してしまったから。
 
 
手っ取り早い解消方法である母はすでに亡くなっており、
その原因の祖母も他界。
 
 
香り療法でかなりケアはしてきたけれど、
やっぱり、"内なる子"の感情は誰かに言わないと
決着、、、終わることができない気がする。
この頃は旦那さんへ時々ポツポツと話はしたり、
父親のパートナーさんへも話はしたり。
でも、全部は解消されない。
ちょっと前にも投稿したけど。
特に変わりもなく。
 
 
催眠療法で潜在的記憶を消したいと本気でこの頃
考えだしている。

驚くことに、記憶は2歳まで遡ることができた。
私が祖母から受けていたイジメというか虐待というか。
ここの記憶だけ消すことは可能なのだろうか?

平日の朝、母は7時半には出勤していた様な気がする。
そして次に、3つ上の姉が幼稚園へ登園。その姿を私は玄関で見ているという記憶がある。
嫌な長い一日が始まると感じている私が玄関に立っている。
母と祖母の仲は恐ろしく悪く、その祖母の吐け口が私だ。
昔はオムツではなくオシメ。
いつまでしていたかは覚えてないけど、祖母が毎回鬼の様な顔で取り替えてくれる。そして文句を言いながら洗っている。
とにかく漏らしてはいけないと子ども心に思ったのか、母の記憶では、私はあまりお漏らしをせず、
早くオシメがとれた。ラクだったと。
尿意があってはいけないと、きっとその頃に
感じていたのだろう、私は大人になっても、
ずっとトイレを我慢出来る人間になっていた。
祖母は普段から、何かいつもぶつぶつ怒っている。
祖母の思う動きを私がしなかったら、
ずっと罵声を浴びることになる。
デブ、ブタ、とろい。のろい。アホ。ボケ。
誰かに似て頭悪い。そして、あんたのお母さんはなーって悪口。
祖母は外ヅラはとても良く、みんな優しいおばあちゃんやね。
と言ってくる。ホンマはちゃうねん、って思っても
正直な事は決して言えない心に誓った。
何かの時に母親にポロッとおばあちゃんと居るのが
いややなあと言った。その翌日、朝から起きていくと
不穏な空気。二人になった途端、鬼の形相で今までの
何倍もの罵声を浴びることになってしまった。
小学生になると、幼稚園よりも長く学校で過ごせてその時がめちゃくちゃ楽しかった。だんだん下校の時間が
近づくと嫌な時間が始まるなぁと足取りは重かった。
私は、近所の幼馴染みの同級生と毎日とにかく遊ぶ約束をして
何とか家で過ごさなくていい方法を考えていた。
母が帰宅すると、ひとまず私への口撃は無くなるが
機嫌はいつも悪い。楽しく母と親子の会話をしようものなら、
翌日に祖母からまた難癖をつけられて色々と言われる。自分だけ除け者扱いだ!と言うことを毎回激怒しながら言ってくる。
だんだん食卓では喋らない子になってしまった私。
祖母は世間体とお金にはとにかく執着がある。
誕生日や敬老の日は忘れてしまったら一大事だ。
私が初めて人へのプレゼントは母にした幼稚園時代。
それも折り紙に数十円のお小遣いを入れただけ。
母は嬉しくて祖母に朝一報告したのか、起きると不穏な空気。
またまた口撃を受ける。自分の時には無かったと。
そこから絶対に祖母には渡さなければという恐怖からのプレゼント。
結局いつも目の前、又は翌日に、
こんなしょーもないもん、いらんわって
庭に投げつけられたりして捨てられる。
それを分かっていても毎回渡さなければと恐怖だった。
私が4年生の時に家を建て直した。もっと最悪になった。
私の部屋の下は祖母の部屋だった。
そして洋間はダイニング以外一つもなく全て和室。
私は自分の部屋が洋間でベットで、と楽しみにしていたのに
それもなく、本当に悪夢の始まり。
なんであんな間取りにしたのか、父に文句を言いたいところだった。
自分の部屋だけど決して一度も寛ぐことはできなかった。
布団を敷く音がうるさいと、親にはわからないように
鬼の形相で2階へコッソリ上がってくる。
勉強しているかどうかも、親にはわからないように
2階へこっそり上がって見張りにくる。
かと言って自分の部屋で過ごさず1階で長く居ると、
翌日にまた口撃される。
その時代、何度も家出計画を立てた覚えがある。
結局資金不足で毎回断念。
私の寛げる場所は自宅にはなく、とにかく外。
社会人になると、本当に寝るためだけに帰っていた気がする。
もっと細かく書き出すと小説できるんちゃうという感じ。


祖母が他界する前に、母も知らなかった父のことを
誇らしげに祖母が私に笑顔で話していたことがある。
そこまで自慢する父のことだったのに、
その当時、祖母と父は全く会話がなかったので、不思議でならなかった。
そんな父が、昔、結婚する報告のため母を自宅に招き、
報告を祖母にした時の祖母の驚きの行動を母が私に教えてくれた。
当時、祖母は母と結婚するならここから飛び降りる、
と2階の窓を開けて乗り出したとの事。
祖母は息子である私の父を誰にも
渡したくなかった思いが強すぎたのか。。。

そんな私は、憎き嫁の娘でもあるけど、
祖母が愛してやまなかった息子の子どもでもあったんだけどね、、、。
  
 
母が生きているうちに、全部言いたかったなぁ。
毎日耐えて頑張っていた事。
仕事に行ってほしく無かった事。
  
 
いつも母は私を褒めてくれていた。
だけど、そこ、ちゃうかったなぁ。
今も頑張っても頑張っても、
これでもない、あれでもないって
なんか満足できていない。
きっと承認欲求があるんやろーなぁと思う。
  
 
インナーチャイルドは、多かれ少なかれ
みんな本当はこうして欲しかった。って
あるんじゃないかな。
親が健在なうちに、
こうして欲しかった、認めて欲しかった
って伝えた方がいい。 
 

そんな頑張ってた自分にマルを出す。
そうしているうちに“うちなる子”は安心してもう出てこなくなる。
 
それがいちばんのインナーチャイルドケア。
 
 
最後まで読んでいただきありがとうございます!


 
 

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