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ホントの気持ち

強がりでも何でもなく、息子の母親になれて良かったと思っている。それも息子が発達障がいだからこそ今のこんな私になれた、と感謝。

めちゃくちゃ嘘っぽいけど、これホンマに思ってること。


でも、こんな気持ちになったのはこの半年くらい前から。むかーしは酷いことをたくさんたくさん毎日毎日思ってたのが正直なところ。


定型発達ならどれだけよかったか。
私はこの子に殺されるかも。
誰かに危害あわす前に私を殺して。
姉たちと別で暮らさせた方がいいかな。
何でこの子の母親なんやろ。
迷惑かけやんよーに生きていかな。
産むんじゃなかった。
…思い出すのは、簡単。
毎日毎日思ってたからすぐに書ける。


放課後デイの先生にも、障がいのある子のママ友にも、とにかく犯罪者にならないように育てるのが私の目標。って言ってたなぁ。


外ではニコニコな私。発達障がいの子どもがいてても平気です!みたいな。
一回弱音を口に出すともう崩壊してしまうのが恐ろしくて。笑いながら息子の困り事言ってた私。そして、まずは「いつも迷惑かけてごめんね〜」からの会話を始める。定型発達の子のママたちは、みんな一緒やで!って。きっと私を思って言ってくれてるのは分かる。でも私としては、一緒のワケないねんで!!!家ではもっと壮絶やで!って思ってた。


息子には、とにかく外でキレないよーにご機嫌を取ることに必死の毎日。育児は、本人の良いところ見つけましょう!出来ないことより出来ることを見つけて伸ばしましょう。って言われてたけど、そんなん無理。気に入らなかったら瞬間でキレる息子のいいところ見つけよーと思っても一日でキレてる方が多い。その印象以外残らないねんから。


息子は第3子。我が家には長女と二女がいてる。そして夫。息子が発達障がいとして生まれてきた理由はコレじゃないのかな?と思うことがある。
それは、主人も同じだよ、と分からす為にかな。息子が3歳の頃だったか、息子に診断名が付いて少しした頃、ようやく主人が「俺の小さい頃と同じ、俺もそうかも」と一言だけ。
   

あ〜やっぱりそうだったのか。やっと気づいてくれた。と、これでちょっとは変わるかなと安易に思った私。だって大人やし、分かるよね?息子の困り事、周りの私たちも困ってる。主人が自覚したということは、周りの私や長女、二女もずっと主人に困ってる、って分かるよね。って。目の前の息子にテコづってるのは主人も同じ。だから、気づくよね、フツーなら。このしんどい結婚生活も少しは変わるかなぁと思ったけど、…そんな甘くはなかった。自分に都合良く考える人だった。


そこからも怒涛の日々は変わらず。発達障がいの対応は、息子プラス主人にも開始、コッソリと。
息子に分かるように伝えてるよーで、主人にも聞こえるよーに。こんな時は周りはこんな気持ち、って息子に言うよーに主人に聞こえるよーに。


紆余曲折あって、主人より息子が急成長。だって必死に息子を本気で治すぞと決意したから。言葉かけから始まり、心のこと、脳のこと、五感のこと、栄養のこと、毒素のこと、片っ端からやってみた。息子に驚くほど変化。すっかり別人!とはいかないけど、別人を求めてはないけど、感情と個性豊かな定型発達くんのようになったなぁと。この先も楽しみでしかない。


何より一番先に変わったのは私。
そして息子。
長女や二女も一皮剥けた感じ。
他人軸から自分軸へ。
主人は…スローペースだけど、少しずつ少しずつ少しずつ変わってきたけど、まだまだ他人軸。


発達障がいって……この頃なんだろうって思う。この診断名は必要なのか?
どう言っていいのか、何が妥当なのかも分からないけど、本人も周りも困り事が多い子、なだけ。どんな困り事?じゃあその困り事しんどいなら無い方がいいよね。一緒に改善していこう。で、いいんじゃないかな?線引きは必要なのか?


子どもの発達障がいは、とりあえずは発達が遅れてたり全然なかったり、本当に色々だけど…
数ヶ月前に、大きくニュースで発達障がい児は増えていると発表されていた。もっとなぜなんだろう?って疑問や深掘りも必要だと思うし、そして境界線を作るんじゃなくて社会全体で発達できるように寄り添っていけばいいんじゃない?


発達障がいと一括りせずに、一人ずつ本当に違うんだから。決めつけないことから。でも今の社会は、残念なことに、くっきりと分けたいのかな?と思ってしまう。
でも当事者やその家族以外は分からないことだらけし、わざわざ教育受けてないし当然と言えば当然なのかもとも思ったり。
やっぱり簡単のよーで、複雑…


じゃあどーすれば????
やっぱりまずは認知活動?
知らないだけ、知らされてないだけって意外とあるからにたどり着く。
と、思うと発信し続けなければいけないなぁと。



そしてもう一つ強く思うこと。
診断する時に、治りません。定型発達にはなりません。って医者からその言葉は必要?
そして、様子をみていきましょう。と言うだけ。
いやいや、治りません。じゃなくて、今の医学や私には治す術が分かりません。やろ?それに様子みてたら大人になってしまうで!子ども時代は貴重な時間なんやで!
 

そら一発目、頼るところからそんな事言われたら洗脳されるわ。もっと寄り添う先生いてるかもしれないけど、現実にこんな先生もおる。なんか違う言い方ないんかな?って私は思う。おかげで私は息子の性格は変わらないと心底信じて、どん底を彷徨うことになったしね…。


我が家に生まれてきてくれた息子は発達障害がいの困り事がある子になるべくしてなった。と今だからめっちゃ分かる。コレがこうで、こうなので、って発達の土台から学び直したおかげ。みんなどの子も発達する可能性は持っている。“何か”がそれぞれあって、要因も一つかもしれないし、複数かも知れない。無知すぎた私は大いに反省というか、知らんかったからしゃーないことと思ってる(自分には楽観的)。でもこんな可能性だけで話すと批判だらけの日本。エビデンス好きな日本だもんね。そんな社会になっている。でも可能性の話だけで終わらすか、どうかだけの違い。それをこれからの親になる人たちに知ってもらいたい。そこから選択の自由が始まるだけ。知ったらわざわざ困り事のある子になる遺伝子になることを避けると思う。気づいてやるしかない。
 
 
本当にそれだけやと思っている。
息子が親になった時のことを思うと、息子の遺伝子を良い方向に変えれるのは医者じゃなく私だけ。息子の身体に入るもの、言葉も環境も私次第と思っている。親の自由、子どもの家庭次第ということになる。



Instagramもその思いで始めたけど、この頃、早くしんどいママたちに気づいてほしくて、役立つこと発信しなければ、、、。って。


…ねばならない。が一番アカンかったと気づいた私なのに、人は変えられないない。変わるのは私だけ。その事にまたハマりかけていた。


わが子をみんなはどうなってほしいのか?
わが子になってほしいように先に親がなる。
障がいがある無しに関係なく。
健康になって欲しかったら、先に親の不調を根本的から何とかする。
もっと勉強して欲しかったら、先に親が学ぶ姿勢(何でも夢中になる姿勢)をとる。
子どもに挨拶をさせたかったら、とにかく先に親。顔見ておはようございます。いただきます。ご馳走様。こんにちは。ありがとう。を言う。
なんでも親が先にお手本を見せる!これに尽きる。

って私は思います(^^)


最後まで読んでいただいた方、感謝です♡



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