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詩74 かげろひ

かげろひ

宵の暮れやう頃とも思へる
目のこころの表までとほのくやう
目の当たり憶へられ
そのまなうらの
誰もをらずいづれも語らず
未だ風ばかり
目に見へる樹のあかく静もる
机の前へ寄せてくるのを
目の前とうしろの景色を風に
無ひものとして象れるとも
考へられ涼しんでゐる
表は暗く
暗ひこころと時の在るのを
思はうことより
未ださう語れる程に暗ひ時の頃合ひも
更けてきてゐなければ
ただ黙したくなり
それは今の目の裏の机の上をなほ明るませる

/小倉信夫

Twitter @hapitum 2023/6/18

 仕事が変わってから生活のサイクルに変化があり、どのようにして詩を書いていこうかと考えていました。変わったといっても極端で、今までの生活から見て、かなり大胆に生活時間が動いてしまったため、書いていく時間の確保が大きな課題となっており、それは今もまだどうしようかと悩んでいます。

 そのような時にどうもふと一篇書きたくなり、しかし仕事の前だったのもあって長いものは書けず、いつもの散歩を終えたのち、机の前に原稿用紙を広げて書き始めました。

 それがこの詩なのですが、自分でも今までと書き方の異なる詩になっている気がします。どう異なるかはまだよく分かりませんが、ここのところ少しずつまた詩想が変わってきていて、その変化が日とともに詩に表れてくるので、生活時間が変わったから特別に詩が変わったかというと、それもそうともわからないでいます。

 しかしここまで書いてきた詩に対する考え方の、軸のようなものは見えているようであり、見えていないようであり、変わっているようであり、また変わっていないようであり、その意味で、同じように悩みながら同じく私の書く詩を書いているのかも知れませんが、書いているときの実感としては、少し書き方が変わってきたような心地があります。

 軸といっても、そんなものはあるようなないようなあやふやな代物で、何か一貫した定義としての詩という概念があるのでもなく、ただ書き心地としての軸のような、あるいは軸と言える何かがずっと連続して心にあるという、それくらいの感じです。

 今日もまた、これから仕事に行きますが、いましている仕事もその軸のほとりにあるのかも知れず、もしかしたらそれを確かめるために書きたかったのかも知れません。これを書いている今も、時間が許すなら一篇書きたくなっていて、しかしそんな時などないので出掛けなくてはならないのですが、またそのうち、もう一篇書こうと思っています。

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