こゑを手に拾ふ日より - 27

こゑを手に拾ふ日より  二〇二四年三月


 なほ暖かく湿りつつなべて日の底より手のもとへ程々にある日のふところにゐて、息づくこととまた息づくことの交はるあたりに、かういつたひとを激しく問ふやうな身の周りへのこゑの配りの彩りのおほきくなつてきて、いましがた暮れてよりの明けるまで、若しくは明け方に程遠く暮れ馴染むまで、此の身へとおさまれる静かさとうるささとを、てもちぶさたにしてまうけふをゐねやうとしてゐる。詩をあたかも手紙するといふ所を、誰かとも考へず身さへ飽きゆくこゑのなかほどへ発たせ、それをさも山の内にゐるやうにも感じ、山などなひまま山を望むやうにも感じ、その隣からただひとかたの日の差し方とも思へられて、詩を書くことを思ひ出だし、これらの景色を思へることも詩に近ひことかと思ふ。

二〇二四年三月七日


 やうやく時も明け暮れて、明るみと目の暗さとの暖かく変はつて来るため、人の気もその身のまはりの落ち着ひてくるのをさも捉へがたひ程のやうな寂しさを寄せるやうにも見へて、ひととほり身のもとの言葉のあたふところを連ね、書ひてゐたひと思へる日の長さになつてきた。夜の時の片はらにゐてもこの所まで未だ日の明けては暮れ、暮れては明ける静かな闇のあらはし方をおそろしひと思へるくらひ、けふも同じくかういつたものの考へ方や寄せ方を読み、書き、思ふといふのみでゐる。これらを若しただ人の身の周りのみにあるこころむなしさとして、しつらへる時と思ふならさうとも思ふ。唯読んでゐたひと思ふ。

二〇二四年三月十六日


 行くすゑをとどめる言葉を象らうなら、貰ふことや得ることや何か求めてあることなどのわづらはしささへ、自づから日のくりかへしのことごととしてまたうるさく、また面白くなく、またうるはしく思ふ。冬の居離り、春まで近く終はれるのを、彩るといふ形にして、その言葉をさう記し詩を日のことの片はらへ置くやうでゐる。これは問ふことと思ひつつ、さうでゐて話すことと同じと思へる。

二〇二四年三月十七日


 かう思ふ。見るものや見へるもののうち、その彩りや聴こへ様や手触りに喩へられてゐるものの、名を無さず、名の在らうまで自づからを肯はず、語らへば語らふことを拒まれてしまふ景色と言はうか、景色の中のその色のうつろひと言はうか、それをかう空しがり、恋ほしくあり、見へ様のあへて決まらずにゐるつかみどころの無さとして、かう言へる。競ふことや競ひ合ふことの凡そにして失はれた所をもつて、何も変はらず、さうと思へばただ打ちつけて去つて行きまた寄せてくる川の岸にゐるやうに、しつらへることとしつらへたものを畳むことの往き来ばかりの日の明るさに、何をか食らふのを楽しんでゐる。楽しひと言はば、楽しむことの余りの深さを、景色の中のひたすらのものへ預けてゐる。

二〇二四年三月二十四日

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