『100分de名著 金子みすゞ詩集』

2022年4月20日

本を読む日をまばらにもうけながら、しかし電車の中などで少しずつ読み進めていたり、寝る前にわづかづつ読んだりなどしていた本をやっと読み終えた。三回目のワクチンを打った後で、読もうと思っていた日は読めず、その次の日の読書になったのだが、思えば何か苦しいことの渦中にいるときは本を読むことに憧憬しながら読むことができず、それが去ってから途端に読み始めるということが多い気がする。

今回も同じような読書になったのだが、しかしずっと読み進めてはいて、そして始終その内容が気になっていたため、いつか読み終わろうと思っていたのを、半分朦朧としながら読み終えることになった。読書の思い出は、その中身とともに、それを読んでいた時の身の周りの経験とセットになっているのが普段で、そしてその経験と言葉が一致したときに強い読書体験となるのだが、今回はワクチン接種や詩作の行き詰まりと結びついた読書だったと思う。

もう一つはウクライナで起こっている紛争のことで、読みながら「こだまでしょうか」がずっと胸にあった。そしてこの一篇はきっと出てくるだろうと思っていたら、やはり東日本大震災の話の所に出てきた。震災と、他国での戦禍と、簡単に比べようのない話だとわかってはいるが、思い浮かべずにはいられなくて、そして読んだときには胸の内が複雑になった。この読書と一番強く結びついた出来事は、人の命についてそれを問うことが起こっており、日々悩みながら読んでいたということだと思える。

と言って、私には難解な箇所も多く、手に取りやすいシリーズの本にしては、みすゞの詩のとても深いところにまで突っ込んだ話を、雑誌らしく簡明に書いてあったと感じられる。これは悪い意味ではなく、そのようにしか言い得ない話を、苦心しながら書いていたのだろうか、と想像した。この想像が私自身創作者であるところから来ているというのは、不遜が過ぎるだろうか。

いづれにもせよ、みすゞの詩について、彼女の生い立ちなどを含めて理解が深まったので良かった。私事にはなるが、昨年刊行した私家版詩集の一番最後の詩が仙崎のことを書いていて、金子みすゞ記念館にも行ったことのある私としては、追いかけていたい作家さんの一人である。むしろそれだけ詩が良いということもあり、何かガイドになる本を探しているところでもあった。しかしその私家版の詩は、詩集のデザイナーさんが仙崎に行った折の話なので、記念館の話ではないのだが。

こうして強い体験と結びついた読書を重ね、そしてまたその体験を手がかりに次の本を手に取り、読書をする日々が続いていくことになる。しばらくは積ん読を読むつもりでいるのだが、また次に読む本も、今らしく時めく一冊となりそうな気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?