『本の世界をめぐる冒険』

2021年9月4日

東京にある、ジュンク堂書店池袋本店で「ホロタッチパネル」という、ホログラム式のタッチディスプレイが、検索機とセルフレジに導入されたと知って、こないだ行ってみた。タッチパネル自体は、いわゆるセンサーが浮かび上がるタイプで、画面に触らなくてもセンサーに触れれば直接手で画面を押したのと同じように反応する。最初、押している感覚がなくて指がさまよったが、慣れてくるとストレスが少なく、スムーズに操作できる。指をどこまで画面に近づければよいかという距離感を得られれば、タッチパネルは確実に反応してくれた。

そのとき買ったのがこの本で、興味深かったため帰りの電車からそのまま読み出し、三分の二ほどを読んでしまった。読みながら、本を巡る世界史が頭の中を駆け巡っていて、私は本という窓を通して世界で起こっていることや、これまで起こってきたことや、あるいは本の未来について思いを馳せたりもした。考えていたのは五十嵐大介さんの『ディザインズ』というマンガのことで、登場人物の一人が環世界の話をしていたのを思い出した。例えば環世界は、いわゆるシニフィアンとシニフィエが官能の内に溶け合った世界かも知れず、読むという行為は第三者の目を通して自らの環世界を覗くという行為なのだろうか、と考えたり。この連想は韻の話のようにも思えるし、フロイトの話のようにも思えて、想像はめくるめく駆け巡った。

私がいかに情報にこだわった生活をしているかということも思わされる。消費することと生産することの、本質的な繋がりがどれだけ壊れているか。本という窓にとっては、窓そのものがそこにあることすら哲学的なのだ。

最後の章には、興味深い話がたくさん載っていた。韓国にある、本を売らない本屋さんの話や、図書館システムの充実のため、貸出料と予約料のかかるデンマークの図書館の話や、あるいは著者のナカムラクニオさんの経営される本屋さんが、人と人の集う場であるという話や。

本屋さんには、まだまだ可能性があって、たぶん開かれた環世界である本という窓を入り口に、自らを見つめ直すという作業の積み重ねは、いつまでも終わらないのだと考えさせられる。人間は内省する生き物だし、内省することによって生きることを問い直したり、あるいは自分の姿を見つめたり、他の環世界を持つ人と出会って、さらに内省を深めたりしてきたのかも知れない。読みたいという欲求が、どれほど寂寥をほどいてきたかを、本の人類史をひもときつつ、思わせられた。

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