こゑを手に拾ふ日より - 22

こゑを手に拾ふ日より  二〇二三年十月


 かやうに物の目に留まり、それを表さうといふよりその物へ徒に問ひかけ、心へもその心のままに問ひかけ、日のこととして疑ふこともあり得ずに、恰もそれを仮と言へ名のあるものとしてさへ思はずにゐたため、いづれかへあらためてしたためることもなひ。目の程か心から留まるともなくて其の所へあるのを、増してゆゑさへ疑はずに、思ほへば日の明るさや灯のあたたかさの為せる色合ひとして、幾たびまでただあるのを見て、心にとつて物のある、言ひ難ひ日の送り方を考へさせられるためか、したためやうとも表さうとも思はずにゐるらしひ。折を作つてその物のために背をふりかへれば、また幾度も寂しめる。

二〇二三年十月一日


 あたかも彩りの豊かな音と、音のまはりに在つて音のたつ、聴こへ方の内のさも空のやうな明るさのなひ、重らうと在れば冴へ、音のその響く所より分かれやうと在ればいづれか余りある、この音のたち方と音のまま、だうとも手にすさぶままでゐる。したためるまでここにてしたため、思ひ出されるやる瀬なさより、ただに耳を傾け、夜とあらば夜らしく、ふたたび眠るばかりかと考へてしまふ。

二〇二三年十月五日


 なにものも失はれ、なにものも姿を為し得なひでゐる目の前の、こゑの果てまで届きさうに望めなひ間のとほさへ、自づから言ひがたひ思へを思へとしか言ひ現し得ずに、その身より発つなにかの思ひを身のものとしてあり得なひで放り置けば、日の畳むのをくりかへすやう読み続ける暮らしに近く、または春とし言はば春であり、秋とし言はば秋らしひと考へたくなる。日をとほしこれをまた日の巡るまでと考へるなら、時と言はばけふであるとも思へてきて、日の暮れてのち、言葉のほど近くより言葉を失ふくらひ読むことと綴ることのたび重なるのを、けふばかり、秋のいや増すといふ感じのする。草も冷めてきた。

二〇二三年十月十二日


 さも点であり、なだらかな線をたたへてあり、其のほかにあることの密かな虚しさを漲らせてゐる、憎らしひおぞましさも芯から怖ろしひ優しさも現してしまふそれを、だう形容したらこゑに適ふかと考へ、わたくしはこの借宿にゐて住まふといふことと思つた。さう始まりさう終はり、終はらうまでもなく、住まひの内になだらかに漂ふその朝の山の形象に近ひ言葉を、折返し日も時も哀しませる。

二〇二三年十月十九日


 日を日から透かしてとほる時刻を前に、その日の光のゆくゑのなひ所を、わたくしの年より回るけふの組み立て方や、なほ組み立てつつどこにもそのもののなひ背格好として心に置かれ、昼ばかり手にも手を透かす心地のしてゐる。読むことのうへに優しく、かへつて情の激しひ手を添へ、これを夜までの秋と言ふなら、日頃よりこのやうに読むことを時を秋の日の光の冴へた頃合ひとして、考へてゐる気のしてをり、かうある日の折返しを朝ごとに予め確かめてゐると思ふ。暮れかかりざま時刻に浚はれ、日の事をかへり見てゐる。

二〇二三年十月二十六日

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