『ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話』-3

2021年7月30日

少しずつ読み進めてきて、今日やっと読み終えた。仕事だったので疲れてしまい、ちょっと布団で休んだので、0時10分くらいまで読んでいた。読み終えたあとも椅子にもたれてじっとしたり、寝転がったり、窓辺で夜気に涼んだりして、ゆっくりした。休みつつこの往復書簡で交わされた長い会話の妙について考えた。

妙について考えたといっても、想像はどんどん脱線していって、脱線しながら別の線路に乗り入れたりしたので、むしろボーッとしていたと思う。その違う線路に入った想像は、本屋さんで会った知人と思い出話をしていた。けれど思い出話も脱線していって、フロイトのことを考えた。フロイトとダリが会ったときの逸話だった。フロイトの熱烈なファンで『夢判断』を彼の「偏執狂的批判的手法」の参考にしたダリは、実際にフロイトと会った折、この精神分析医から彼のスペイン的な気質について問われたという逸話のことだ。津田さんと上橋さんお二人からはだいぶ逸れた話だが、私は「想像力」がこの本のテーマの一つだったと思う。想像という、エピソードに基づく思考には、何か営為としての対話を示唆する心がある。

そのあと、別の知り合いと少し話をした。
私は読むこと書くことは楽しいのだ、と言った。楽しくあってほしいし、苦役ではないと思う、と……。言いながら、「紡ぐ」と「歌う」は似ていて、「なおす」(直すや治す)にも似ているなぁ、と思った。自分の暮らしより身の声が大きく在ろうとしなければ、もう少し楽しんで読んだり書いたりできるだろうか、と省みつつ。

やっと読み終えた、というのも、ちょっと変だなぁ、と思うけど、実際いつもやっとの思いで読み終えている。私はこのやっとが楽しい。さっきの想像という夢の中で、私は今回の読書について対話形式で考えたりしたが、その時「読みたい本はありましたか」とその人から問われて、本をバッグに入れつつ、ありましたが、読むために買ったんじゃありませんよ、と言ってみた。じゃあ、何のために買ったんですか。コレクションですか、と言うので、いつか読むだろうと期待して買うんです、と半ば茶化した。なのでもしかしたら読まない時もあるかも知れません、という含みはさておき……

往復書簡という会話の妙について、疲れを休めつつ考え事をした。中井久夫さんが『徴候・記憶・外傷』で書かれているような、自分自身との見事な問答も思い浮かべたが、あんな風にはいかない。なんというか、メタ世界を包摂するこの世の現象について、考え続けるばかりだった。

人と人とで交わす対話の妙は、自分の心が相手の心のうちでメタ世界となることなのだろうか……。この本を読んでいて、心のわからなさの内には、物語のナラティブが巫覡のように立っている気がした。

さて、次は何を読もうかな。『騎士団長殺し』を読んでみたくて、迷っている。でもその前に積ん読を読むかも知れない。

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