こゑを手に拾ふ日より - 5

こゑを手に拾ふ日より  二〇二二年五月


 ひとは……、まなざしを凡そ伏し目がちに……、しかしその隣にはどこか潤ひを湛へ……、淵の深ひ湖に似た(……、それとも余り葉の茂つた林の樹にも似た……、)眼を日に輝かして(立ち並ぶ本をまへに)(……、あるひは本の扉より開かれる思惟に夢を馳せるやうに……、)一冊の本を購つてゐた。ひとは……、あるひはひとらは……、胸に広がる森林の(またそこに棲む鳥と獣の)こゑに耳を澄ませる仕草で、夢を目や耳に湛へるしあはせを(その購はうとする手の持つてゐる思惟の内に……、)表すやうでゐた……

二〇二二年五月二日


 かういふ瞳(をあなたは……、)(濡れた髪と草臥れた頬と日と月のやうにおほきな瞳へ……、)草が風に揺れてゐると言はうか、水が川に棚引ひてゐると言はうか、田の畔を子が(花を摘みながら……、)歩ひてゐると言はうか……、風と草の穂がそれぞれ、空を浚ふことがあるやうに、ひとは(その瞳の在る……、)所へそばだつこゑへ、耳を澄ましてゐることがある。日と月をかうして瞳と言ふなら、その瞳の揺らぐ様子にはだうしてか哀しみがある。儚ひとも言へさうな、空の底ふかく沈んだ静寂かも知れなひ。

二〇二二年五月五日


 本を購ふ……、購ふのにとほく及ぶ、及びほほえみ手と手との形ばかりの交歓をひとはきつと見つめてゐた。本の並び、あるひはひととひととのこゑの行き交ひ、どこか虚しひ情報の彩りの聴こへてくる昼の駅舎にゐて、おそらく物憂げに目を愛しませ、その愁ひの内に官能の笑まひを湛へ、そして本当に愁ひてゐたと私は考へた。購ふ……、と言ふけふの晩ひ春のみの暖かさの内に在つて、あなたが何を考へてゐたのか、無闇と知りたひと思ひ、さうして一冊の書を購つて去つた……

二〇二二年五月八日


 ひとは私に(こゑのとほひ……、)田のしづかな畔とその隣の小川と(そして……、)草の鋭くたはみ花と風に波引ひてゐる命の在り様(と様式の美しさ……、)を思はせた。東京の国分寺から(あたかも……、)川のとほつた跡(の泥るみのやうな……、)綺麗な坂を下つて国立(あるひは立川と言ふ所へ……、)来た所だつた……。道に浮かぶ川と水の風におののく往来を、おほきな樹を片はらに見つつ、その同じまなざしで私はそのひと(ら……、)を見つめた。夢を目にととのへた(心の隣の……、)樹立ちと同じ目のならぶひとらと会へて、こころ和んだ……

二〇二二年五月十一日


 ひとりびとりひとのありく……、歩ひてゐたり立ち留まる……、とどまつたりいぶかしむ……、そして椅子に腰かけ直す。なつかしひ心の表れたまなざしをして、寂しむひとらにおほく私には見へ、目はひとりびとりへけふのこころとほひ朝に覚へた夢を語らうやうでゐた……、と言はばこれはひとつの憧れだらうか。目に代へて耳を寄せても、その足どりの心を象る歩き方より、名のある者は何もゐなひ。さういつた宵の前の往来だつた……

二〇二二年五月二十一日


 日を置ひたまま、けふとなり、やつと駅の近くでひとと識り合へた。明るく、また暑く、しづかな瀬々らぎで持つて空を考へさせる、国分寺(や立川……、)の波状の道のうへだつた。なにごともなく、昨日らしひけふのあり、またけふらしひ昨日でもある、こゑのたはむ歩み方を(ひとらは……、)してゐるように、日も時も経つて行つた……

二〇二二年五月三十日

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