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詩58 たしなみ

たしなみ

日のうららかさの 日と日のあひだ
耳にわたくしのこゑばかり
添へる手前の
音の身体へ寄せ
まなざしから目の内の光景の裏まで偲び
手でつままうとしても
指を隣へ這はせるたびに
手はそのこゑと
こゑらしひ またはこゑの聴こへなひ
日ざしから
日を日ざしの集ふ土のうへの
笑ひ かなしむ 感情を
手の片はらへ置くのみでゐる
冬の暮れの
ひる時の
ちひさく 何もなひ こゑさへ失ひ
わたくしのまなうらの 頭のうしろへ
こゑといふこゑでなひ波の漂ふ部屋にて息む

/小倉信夫

   (2023年1月24日のツイートより引用)

Twitter @hapitum 2023/1/24

 年があけてから少し暖かい日が続いたかと思うとまた冷え込んできて、この日など風もあったのでコートを着なくては体が冷えてしまう一日でした。クリーニング店の割引が受けられるので、月末になったらコートをクリーニングに出そうかと思っていたのに、こうも寒さがぶり返すと迷ってしまいます。迷いつつ、しかし出すつもりでいて、これで余りに寒かったら来年は考え直そうという気持ちです。

 起きてからシャワーを浴びたり、朝食を摂ったり、朝食後の日課になっているポイ活をしたり、SNSやニュースをチェックしたりなどして、どうしようかと考えた末、本屋さんへでかけました。一つはよく行く古本屋さんへ。蔵書を売りつつ、体調を崩していたという店主さんに会いに行ったのですが、既に元気になったそうで、この日は神保町まで出掛けていたとのことでした。

 その後は近くの駅まで歩き、電車に乗って月末閉店の本屋さんへ。着いたときにはもう暗く、通りはにぎわっているものの寒さが一段とひどくなっている頃で、何とか本は買えたのですが、買って電車に乗る頃には帰宅するサラリーマンたちで電車の中も混み合い始めており、三つ目の本屋さんへ行くか、頃合いに合わせて帰宅するかを悩みつつ、しかし行ってみることにしました。

 コーチャンフォーという、稲城市にある本屋さんです。本店は北海道だそうですが、東京にも一店舗あるというニュースを偶然スマートフォンのブラウザが送ってきたレコメンドで読み、興味を持ったので行くことにしました。敷地の広さと、蔵書数の多さ、また併設のカフェの広さが特徴の本屋さんとのことで、どんな本があり、どんな並べ方をしていて、どういう構造になっているかが気になっていたので、渋谷から若葉台まで電車を乗り継いで行きました。

 私は詩を書くので、始めて行く本屋さんにしろ、よく行く本屋さんにしろ、必ずといってよいほど頻繁に詩歌句集のコーナーを見ますが、ここのお店は棚が面白く、ほぼ面陳で詩集が並んでいて、なるほど、と思いました。詩集は装幀が美麗な本が多く、背表紙で並んでいると分からない魅力が一冊ごとに分かるようで、また人気作家の詩集も面で並んでいると続けざまに手に取ってみたくなり、眺めているだけでも楽しかったです。

 そこで一冊文庫を購入し、その後はまた電車に乗って、たまに行く近隣の本屋さんへ。ここでもまた文庫を一冊買いました。ボルヘスの、詩論集です。一冊持っていたく、どれにしようかと思っていたら、図書館で流し読みしたときにはなかった本があり、即決でした。ここも敷地が広いのでいつも全部は見きれないのですが、行くと発見があるので、たまに行っています。

 さて、冒頭に書いた詩は、この書店巡りをお昼から夜にかけて、風に吹かれながらする前に、自宅で書きました。家の近くのコンビニに用事があり、そこまで歩きながら何か考えるような考えるでもないようは気持ちでいて、行ったら不思議と知り合いに会い、用事を済ませ、しかしもともと何か書くつもりでいたので、書きたいなぁ、と原稿に向かって書いた詩です。

 言葉というのは心の内にあって、定まっているようでいながら定まっておらず、しかし定まらないのはうわべのみのようでありながら、しかしそのうわべこそ言葉であるとも思えて、その心の内にあって定まろう言葉と感覚を求めるとかえって自壊してしまうのが言葉であるという、そのようなことを考えていた気がします。

 考えていたからといって、恐らくそれを書いた訳ではありませんが。

 タイトルを考えたのは、夜になってからです。詩を書いて、街に出て、書店を巡り、人と短い話をし、帰宅してからnoteにアップロードしようと思いついて、読み返しました。最初、思いついたタイトルは「想愛」です。確かに書きたかったこととしてはそうかも知れませんが、書きたかったことをタイトルにしてしまうと、今度はそれによって書いたものが書きたかったことではなくなってしまう気がして、今のタイトルになりました。

 詩がもし、移動なら、私はこの日、定まるような定まらないような、そういう言葉の旅をまた繰り返して、これをどう読めばよいか、わからずに、一年ほどしてまた読み返そうと考え始めています。

 その意味では冬らしい詩になりました。それとも、春の萌し始めている頃の冬の詩かも知れません。

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