こゑを手に拾ふ日より - 21

こゑを手に拾ふ日より  二〇二三年九月


 いつよりか日の暮れてゐる程に、ふたたびまで寝てまた目の明けてくるのに、かうしてものの大人しひ日と昼をたちさはぐ音のなく、さうあらばうるさひ思ひのあるともなしとも華やひでゐるやう、覚め方に身とそれら静かさとの思へと思への往き来を考へさせられて、時に加へる時はくりかへし速く、秋とも夏とも思はれなひ気の配りの漂ふので、詩を書かうと考へられその余りまた寂しめる気のする。風はまだ昼らしくさはがずにゐて、日の光は陰ばかり落ち着ひてをり、なにかこの風景へこゑばかり問ひ返さうと身の置きどころの失くせるやうな静かさもある。これを言葉のなさと言へばさうかも知れず、つとに詩を書き、日のとなりへ日のくりかへすのを眺めてゐる。

二〇二三年九月九日


 此れを愛ほしさと言ひたくなり、さうある思ひの為に疎ましさと考へてゐたくなる、心のまはりから内へ寄せまたまはりへと連なつてゆくこゑの波立ちを、さはがしくその心のほとりにのみ置ひて、だうともせずに暮らしの向かふ日の連なりはそのひだの濃かさに至らうまで静かでゐる。此方へ折まで虫の鳴く音や鳥のおかしなこゑや、樹と樹の間よりせせらぐ風の騒々しさの重なりまでして、それを何とも表さず在らうものを在るままに漂はせてゐるらしひ。伝へるやうらしひと言ふのは、わたくしの思ひはまだ密かな為かと思ふ。

二〇二三年九月十日


 かうまでして在るとも無ひ気のする、ひとつひとつの物音の静かとも思へて、うるさくありつついとほしく漂ふとも考へられて、たはやかであり、疎ましひ思ひのある物ばかりの音の鳴るのを、ものを目や耳に映すまでなひままにしたためられずにゐる。この手の動きの緩く目の配り方やうつろひ方ののろさを、なぞらへると言ふ言葉で伝へたくなり、そのときこれを読むといふことかと思ふなら、わたくしは今目の許へ書ひてゐると考へられる。

二〇二三年九月十七日


 ゆゑもあり得ずこころ恋しさのそこここへ在るのを、幾つか恐ろしひと感じ入ることもあり、しかしだうにか菜の花のしどけなひ葉と茎と花の並びのやうに、儚く今とまう再びの明日へこの切なさの連なつてゐればと考へる。折りよく悪く肌のほとりへ空しさの冴へてある気のする片はらで、その思へをまたにはかに笑ふ心地のあつて面白ひ気もする。いづくよりいづくまでわたくしはこのやうな人として、詩を綴じてばかりゐるのを恥じらふ。

二〇二三年九月二十一日


 背の仄かに高くあたかも風にゆらぐらしひ、いづれの日もちひさな草のそこへ立ちありくやうでゐた。その丈のまはりを風のまとふやうに揺れ、鳥や虫の集まるやうにかひま見へ、草ばかりの通りの脇をまた草にまぎれつつ、にほひまで見へ隠れする所を日の光のたはむまで、昨日より同じひ足どりでありくらしひ。このやうに風は立ち枯れ、秋の往来してくる。

二〇二三年九月二十四日

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