『群青の海へ わが青春譜』-1

2022年3月3日

何か書きたいなぁ、と思いながら寝不足の日が重なって書こうにも書けずにいるまま何日か過ぎた。ここのところ確定申告書の提出作業などが忙しく、本もなかなか手に取れずいたのだが、つい先日やっと書類を出すことができて一息ついたら書きたくなってきた。とは言え今は自律神経を癒やす方が先なので、うつらうつらしながら日々を過ごしている。まさか個人事業主としての確定申告がこれほど大変だとは思わず、70点で提出出来ている自信もないのでドキドキする。こういうとき、身の不精がたたられるのだが、たたっても仕方なく、またどうともならない。

折しも季節は早春であり、ただでさえ一年で最も体調の悪い辺りにさしかかっている。不精の癖して横柄な生活をしているためか、それほど春の憂鬱はひどくないのだが、それでも私にとってはあまり快い季節ではない。しかもたいてい体調が悪いときに限って忙しい。

草が盛んに芽吹くようになるとだいぶいいのだが……。ここのところ良い雨がよく降るので、少しずつ土が変わってきている気がする。しかし今年はついに早春の野菜を食べないかも知れない。

出掛ける予定があったので、バッグに本を入れて持ち歩き、どこかで読もうと思っていた。今日行く場所は、駅の構内においしいパン屋さんがあって、そこでクリームパンやあんパンをよく買っている。今日はクリームパンにしたのだが、お会計をするときに、ひなあられの小袋を一つもらった。そういえば今日は桃の節句だったと思い出して、先月は豆をもらいましたね、という話を店員さんとしたりなどするうち、やはり何か書きたくなって、待合や電車の中などで本を開くことにした。

実は少し前から寝る前に読み出していた本だが、出先に持っていくときには文庫が便利なのもあり、いつも枕頭に置かれている訳ではない。しかし今日も、読みながらまた夢中になってしまった。これは画家の平山郁夫さんの自伝的なエッセイなのだが、芸術の本質についてまさに一行ごとに同じ一つの言葉がちりばめられている様が感動的で、ページをたぐるのも速ければ、しかし夢中にもなってしまう。

まだ読み始めたばかりなので、何とも言いがたいが、しかし何も言いたくなくなってしまうような、あるいは何も言わなくてもいいようなことが書いてあると言おうか……。想像力の豊かな飛翔も印象的で、それも楽しい。浮気性の私はどの本を読んでもたいていワクワクするのだが、この本にもときめいていて、始めの方ながら読み終わるのが惜しい気もする。

とは言え読んでいる内に憂鬱がどこかに言ったかというと、そんなこともなかった。読んでいる間も、読み終わってからも、同じようにボーッとしているのだが、しかし読まなかったよりは読んだ方がよかったに違いなく、こうしてここにひなあられの思い出などを書いて心を温められるのだから、またあの駅に行ったらパンを買わねばと思いつつ、今もボーッとしている。

春というのは厄介な季節なので、早く過ぎればいいと思いながら、いつもしづしづ暖かさを味わって、雨の音に耳を澄まし、そして新緑を予感しながら体調を整えるのが楽しみでもある。夏は日が強く感受性が疲れるのだが、この頃をうまくしのげれば、秋とともに、とてもよい季節であることには違いないと思う。

春はやはりときめく季節なのかも知れず、ときめくというと、青く若い草や雨の豊かさを思い出すので、愚痴を言いながら時に耳を傾けて、そして本を開いている。

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