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詩75 虚偽

虚偽

今はほんたうに静かで暗ひ
此の夜を何もなく
音をたてると言ふことをさへ
忘れてゐるくらひ
目に見へる風景の色彩と
明かりの暮れた闇ばかりの
影の漂ふ時刻のさなかに
おまへたちもまたうるさく
息を潜めて眠るらしひ
夜の余り蒙く
まなざしのうつろふ所へ
思へば飽くまで
音にせよ彩りにせよ何もなひのを
だうしてもまた
此の言はば闇とのみしか言ひやうのなく
考へられるけふの夜であり
憶への内の昨日の夜に再び似てゐる
身の周りの暗さを夜に喩へれば夜は尚深まる

/小倉信夫

Twitter @hapitum 2023/6/22

 このところ立て続けに詩を書いていて、今日は書かないのですが、それでも少し何か書きたいという欲求があり、なぜそうであるのか私にも分からないでいるものの、しかし読書欲も再燃してきているところを見ると、今は言葉に対してそれを手許に置きたいような感情があるのかも知れません。

 本人の実感としては少し違って、言葉をある意味自身の体と同じように手許に感覚できているかどうかというあたりなのですが、この感覚があるときにはやたらめったらと書きたくなり、どこにでも書き散らしたりします。一方でこのなんと表現したら適当なのか分からない感覚や感情が目に見えなくなったときには本当に悲惨という他なく、体の芯がうつろになったように書くことも読むことも忘れた日々を過ごしてしまい、そのために感情面が猛烈に悪化したりなどします。

 私のクセとして、周囲とのコミュニケーションの齟齬が特に人より顕著に表れるという、言わば悪癖のような自らでどうしようもない悩みがあるのですが、この懊悩とも関わりのある現象として、言葉に対する感度の落差ということが言えるかも知れません。

 よく言われることとして、上の空だとか、他のことばかり考えているとか、何も考えていないだとかということを人から指摘されますが、これは逆にいつも何かを考え続けていて、そのために手許がおろそかになっているということらしく、しかし私としてはこの上の空の状態が一番しっくり思考と体とがなじんだ状態なので、のらりくらりしながらその言葉をかわすまま今に至っています。

 それとともに妙な孤独癖もここから生まれてきてしまっていて、ある人いわく、この人が考えていることはたいていしょーもないことです、ということらしいのですが、確かにそうだと思います。しかし周りからの干渉が煩わしくなくなって、一人でその思考や感覚の中に佇み始めると、途端にそれらが活き活きとしだすので、どうもいつからか人を避けるクセがついたり、誰とでも関わることに苦手な感情を持つようになったりなどするようになりました。

 そこにある課題の一つに、共通の言語についての態度という命題があるのですが、これについてはなかなか書くのも難しく、まだ私にとっても整理のついていない問題です。例えば、人と会話をするときに出てくる「こんにちは」という単語と、そのときその人が帽子をとって会釈をする仕草をすることには、その二者のあいだにおいて通じる言語がそこにありますが、その帽子をとった人がそのときチラッと微笑んだとしたら、その微笑みの意味するところは文脈から読解するという作業となり、その言語には多義的な意味と状況が生じます。

 この人が考えていることはたいていしょーもないことです、というのはどうもこのあたりのことらしく、語尾に必ず、だからコイツは変なヤツです、という言葉が添えられます。ここにある、多義的な言語を文脈から読解するという作業の恣意性については、何とも言いがたく、要はある一定の解釈をしたとしても、その解釈が必ずしも一定ではないという前提がついてきてしまい、あたかも読むということそのものに解がないかのような状況が生じてきます。

 私が面倒なのはこれで、それは読むという作業に対して、常に一定の解釈があり、解であれ結論であれそういったものが決まっていれば落ち着くという話ではなく、その多義性を多義性のまま何も言わずに包摂される中にいればそれでいいので、そうすると自ずから孤独癖のようなものが身についてきてしまい、周囲の解釈の世界はその世界のまま、それら多義的な言語が自らの思考や感情と一致している世界にいようとします。

 なぜこんなことを長々と書くかというと、この解釈そのものが私の書く詩の匿名化の作業に他ならないかもしれず、ここに書かれた文章自体同時に多様な解釈が成り立つものであるということを、遠回しに言いたいのかも知れません。

 ここのところ書きたくなって書く日が続いているというのは、このような静かな状態がどこかしら身の側にあるためであるような気がしますが、それさえ私にはよくわかりません。ただ、総じて周囲から見た私の人物像というのは正鵠を射ているようで、やはり自分でもしょーもないヤツだと思っています。

 もしかしたら来年あたり、詩誌を出せるかも知れないなぁ、と思っていますが、その内容は、しょーもないものにしないようしたいと思いつつ、まだどうなるかわからずに、とにかく書いてばかりいる日が続いています。

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