『水いらず』

2022年2月22日

確か、この本は昨年10月に東京都内の本屋で見かけて買ったのち、しばらく家に積んで置いたのを、ほどなくして読み始めたように覚えている。最初は電車の中で読んでいたのだが、家でも読むようになり、そのままずるずると今まで読んできて、やっと読み終えた。ことさら小説が苦手というでもないが、私はこういう読み方をすることがあって、半年もかからずに読み終えたのだから早いとも思うし、遅いとも思う。

サルトルの小説にせよ、思想書にせよ、いずれも読んだことがなく、しかし名前はよく知っていたので、一度読んでみたい作家だった。特に二次大戦後の思想の世界において、だいぶの影響力を持っていたことをどこかで読んでいて、いつか読まねばと思っていた。

電車で読むほか、寝る前に読んだり、あるいは暇な折に開いたりして、ようやく読み終えたのだが、何というか難しい話だったと思える短編もあり、腑に落ちないような、かといってどこか自身になじみのある文体でもあったような、不思議な感じがしている。中途で思い出したのだが、小川国夫に似ているかも知れない。小川の文体はハードボイルドな硬さがあるが、サルトルのこの短編集の訳文には、権力に対する明確な意思表示という形で、やはりやわさという装いをまとった硬質さがあるように思える。

今日は、八王子まで歩いたので、だいぶ草臥れたのだが、家に帰ってこの短編集の最後の一篇を読み終える内、その疲れも癒えてくるようだった。それだけ、読むあるいは書くという行為に対する研ぎ澄まされた感覚が、訳文を通しても伝わってくる気がする。

いつか読み返すかも知れないし、また別の作品を読んでみるかも知れない。しかしひとまず今は、他の積ん読に取りかかろうと考えている。

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