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詩70 霞



雨のかうも降る日のたたみ
日より日の折合ふやう
雨音の潤ふといふ
さういふけふで在ると思へてゐる
その思ほへる
雨のにはかに深まつて降り
小暗ひ日の
日の影と淵を追ひ
指より手の心に連ね
雨のこれほどこはく在り
またその雨ばかり降る
ひと時のくりかへし
しづく寂しさを
だう思ふならわたくしは
雨の日の追ふ
雨ばかり追はれる雨を
心のさなかへ疎ませられるだらう
音をたてて雨の降るけふを雨のうるさく象る

/小倉信夫

Twitter @hapitum 2023/5/20

 雨の一日だったのを、夕方になるとやみはじめて、外を散歩している内にふと詩が書きたくなり、そうして夜になると一篇したためました。この頃夕食を食べたあとに腹ごなしの散歩をするのが日課になっていて、短いときは30分くらい、長いときには1時間以上歩くのですが、そのあとに詩を書くことがあるためか、詩を書くための散歩になってしまうこともあります。

 この日はまさにそうで、夕方に歩いてから詩を書きたくなってしまい、そののちはずっと書こうか迷っているうちに、やはり詩想を練る散歩を始めて、そのまま帰って筆を執りました。詩想を練るといっても、ほとんど何も考えずに歩き、そしてその考えない姿勢のまま鉛筆を握るのみなのですが。

 しかしだいたい書き始めるのが日付を回った後なので、そうすると眠りにつく時間もそれに伴って遅くなり、遅いときには午前4時頃に就寝したりします。私の生活のルーティンだと、布団に入るのは午前2時~午前3時くらいが理想としてあり、そしてそれだと眠りもたいてい安らかなのですが、眠るのが遅くなると、あまり寝ていないはずなのにかえって朝早く目が覚めたりしてしまい、それによって朦朧としているような目が覚めているような半端な一日が始まっていって、また夜になると寝るのが遅くなるという、困ったサイクルに陥ってしまいます。

 これは、早起きをしなくてはならないときにコーヒーを何度か飲む日があったときにも同じことになるので、もしかしたらその変なモーローのためにコーヒーを飲み過ぎてしまい、それで夜また寝るのが遅くなるのかも知れません。

 そうと言ってしかし、深更に詩を書く習慣をやめる気にもならず、夕方ころに書くこともありますが、だいたい書くのは夜遅くで、夜の詩ばかり書いている気がします。というより、夜という合わせ鏡から見たその日の詩の心と言いましょうか。

 しかしそう言いつつ、今夜は書かないものの、また幾篇か書こうと画策し始めていて、そうしたらまた寝るのが遅くなるかも知れません。詩を書く作業というのは決して一人で成り立つものではなく、多くの人の協力によってできてくるものですが、たった一篇の詩を書くというだけでも、言葉に対して日頃より注意を払い続ける暮らしというのが、日々のこととして生活の基礎になっています。

 逆に、これが出来ないと言葉がどんどんすさんでいってしまい、それほど生活と言葉とを一致させて、ようやく詩を書くことができるのですが、それは同時に、言葉をあまり発しないということによっても成立します。もし詩想を練る散歩などというものがあるのなら、それはこういった詩を書くという行為の手前にあって、これら多くの人の協力から成る、珍妙な生活の集約された状態としての散歩かも知れません。

 なので本を読みますが、SNSはあまり使いません。SNSの言葉は消費される言葉として、それ自体その一言一言に立ち留まって内に入っていく言葉とは、違って読めています。SNSは広告とあまりに関わりがあるからでしょうか。

 こうして言葉を整理していると、また書きたくなってきます。今夜は書くかわかりませんが、またそのうち詩をしたためるつもりでいます。散歩といって、同じところを2週も3週もぐるぐる回った後に。

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