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詩69 下解

下解

どのやうに思はれ だう定められてか
捉へ難ひまなざしの
識るといふ
識り得なひことを言ひ交はし
聴くことと触れることより
そのひとの
目の裏と表に通ひ合ふやう
なぜか思はれ
あるひはわたくしも
そのやうに識られず 言ひ当たらず
ただ輪郭と形式のある風景として
今のこの
ひとときの内に置かれてゐるらしひ
其の所までいづくか儚く
漂へる 風と言はうか 光と言はうか
林のほとりで
識ることのあり得なひ
そのひとの形式を想像し 形式を解ひてゐる

/小倉信夫

Twitter @hapitum 2023/5/14

 この頃、どうも詩を書きたいという思いの募っていて、断続的にではあれ、近い日付で詩を書く日が続いていました。その後ろにあるものについて考えてみると、やはり散歩がはかどるということが一つにはあり、またもう一つにはにわかに読書欲が再燃してきたという事情があります。

 なぜ読書欲が再び出てきたかというと、数日前 Twitter に投稿した通り、ここのところ買い溜めていた本が、買い溜めるまま積んでいたらついに崩れるようになり始め、そろそろ整理しなくてはならないと感じ始めたということがあり、それで、売却したり仕舞ってしまう前に、と読み始めたのでした。

 私の本の買い方は少し変かも知れず、いつの頃からか読まないときほど買うようになり、そして読み始めると今度は買わなくなり、引越しなどでスペースに空きができるとまた買い始めたりします。そしてある日、これはもう読めないということに気がついて、惜しみつつ売却したりするのですが、手放してしまえばもうその本のことを覚えておらず、リストなども作っていないので、もしかしたら今積んでいる本の中には、昔一度買っていたものがあるかも知れませんが、私にはもうわかりません。

 本の買い方としては、一ページ目を読んで、面白そうだな、と思ったら買ったり、あとはメディアやそれぞれの媒体などで話題になっていたら買ってみることがあるのですが、だいたいにおいて、そのようなときにはあまり読みません。

 以前、今はもう故人の先生と笑い話のようなことを言っていたことがあったのですが、買ったときは、必要だな、と思って買うものの、そのときにすぐに読み始めなくてはいつの間にか埃をかぶり始めてしまい、そのままついに読まなくなってしまう、という話をしていたことがありました。なので本というのは旬があって、それはそのときその人が持っている問題意識とまさに合致する本がその人にとっての旬なのだ、と言うと、この話に笑って同意されました。しかし往々にして、買うばかりで読まないので溜まってしまう、とも。

 この話が出てきた背景にあったのは、私の本の買い方の変化で、この話をその先生としていたときには、上記に書いたような買い方になっていたのですが、その前は少し違って、似たような買い方をすることはあったものの、どちらかというと、読んでいた本を読み終えたら本屋さんへ行き、書棚を物色する、という買い方でした。そのため常に本を読んでいて、次に読みたい本もなんとなくあり、しかし読み終えたら違う本を買って読んだり、などをしていたため、本の買い方が変わったときに、こういう先生とのやりとりが出てきたのだと思います。

 いつからか本の読み方が変わって、溜まったら読む、という方式になり、しかし溜まっても読まないので、結局知り合いから勧められた本などを買ったり借りたりして読んでいて、そのうち溜まった本については置き所がなくなってしまうので、だんだん本自体買わなくなっていきました。暇なときに本屋さんへ行っていたのが、いつからか足が遠のくようになったのは、この読み方の変化が大きく、その代わり、それまで出入りしていなかった棚を見るようになったり、図書館へ通うようになったり、むしろ個人書店などへ行くようになりました。

 そしていつからか、部屋がマニアックな本ばかりになっていって、そうすると今度は大型書店では私の読書需要が満たされなくなってしまい、個人書店は散在しているので頻繁には通えず、ますます本屋さんへ通わなくなるとともに、読書量も日に日に減っていっていきました。

 その一方で、また新しい発見も得ていました。積んでいる本について、確かに買ったときには、その買った当時の問題意識の反映された買い方をしていたのですが、その問題意識について忘れてしまったり、覚えてはいても主要な関心事ではなくなったりしたあとで、ふとその本を手に取るとかえってその本が新しく映るという経験と言いましょうか。この体験を得てしまうと、そのために本を売却しづらくなってゆき、積んだ本の置き場をどうするか、ということを巡って、生活スペースを狭めるということになり始めました。

 今はひとまず、手許に残す本を決めようということで本を読み始めましたが、ミイラ取りがミイラになりそうな気もしていて、しかもいつになる話かもよくわからずにいます。しかしそうして読んでいると、その読書欲に触発されるように詩も書きたくなってくるので、この頃はそれで少し詩を書いているのかも知れません。そうかと思えば、理由もなく書けなくなったりするので、関係があるのかはよくわかりませんが。

 それとまた、季節の移ろいもあると思います。近ごろは散歩をすると、命の濃やかさを感じられる機会が増えてきていて、そのために詩の内容が変わってくるのが面白く、それでなおさら書きたいのだと思います。ということは、この興味関心が一段落するとまた悩み始めるかも知れません。いつだか書いたとおり、書けなくなると生活も荒れるので、そうならないように、読む習慣をつけたいなぁ、と思いつつ、しかし買うクセに本を読むのは面倒なので、読んだり読まなかったリです。

 その意味では、すでにミイラになっているかも知れません。こんな本も読みたかったと、色気を出し始めたら、終わりが見えなくなってしまいます。

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