こゑを手に拾ふ日より - 32

こゑを手に拾ふ日より  二〇二四年八月


 けふも悩みに明け暮れてゐて、日のままにこゑをしはぶかせ、働くことも思ふ通りにならなひのを愉しみ、味合ひ、悶へてゐると、語らふこゑの乏しさの内に日に差され暑がれる身のやせ、定まつて行く思へのあり、日の涼む内にはかうして身の在る所をかへりみることこそ、働くといふことの折から折へのくりかへしのやうに思へて、身の程を今もなつかしんでしまつてゐる。若し喩へられるなら、草をまとへば草かたびらの、花をまとへば花かたびらの、涼しくあらば切なひのみの、夏らしく、秋前の風ばかりしとどに湿るころとして語られ、ただ懐かしむものを懐かしめると思ふ。

二〇二四年八月十二日


 さも人に対ふといふことを思ひ出すやうに、夏をしまはうとする程の夏らしひ秋風の吹ひてきてゐて、未だ夏より前とも言へさうな、日と日との間よりかげらひ、その小暗さから寄せる風の心地と軽ひとも重ひとも爽やかとも思ふ。日や時の経つて行くのをつどに思ひ悩むのは、暮らしに逆らひさうあつて寂しめる身の、涼めるまでのおほきさや小ささを感じ得て身の上へ纏はせるためとうぬぼれてゐる。かういふ日の並べ方をして、人と対ふのに大人しくあるのは、夏の涼しひためと思ふ。

二〇二四年八月十五日


 かなしひことや寂しひことのたび重なるのが八月の終りのこととして、風もかはき、日差しも落ち着ひてきたためか、安らひでゐた日の連なりや、やるせなく居たたまれづにゐる日の愁さも、いつものことに同じひやうに冷めてきてしまひ、これをけふは秋口として考へたくなる。むなしがり切ながる思ひのあるうちに、虫といふ虫の息の根は絶へ、葉は色づひて行き、年はみのつて、空も冴へてしまふのを、今に未だ哀しひとも寂しひとも思はれる。さにあらばけふは夏とも秋とも言へ、この暮らし方でもつてして日を懐かしんでゐる。

二〇二四年八月二十五日

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