こゑを手に拾ふ日より - 23

こゑを手に拾ふ日より  二〇二三年十一月


 手の象る形式として、その手のなだらかな装ひとあたかも息づかひの深ひ影とを、今ばかりとも表し切れなひひとの手より、明くる時まで手にて此の手そのものを紙のうへへ、だうしても留め置くやうに綴り連ねて行くのを、書くといふことよりは、手を手にて為すこととして考へられてゐる。夜と言はず昼とも夕べとも朝とも言はず、ただくだくだしくこだはるもののある朝の、日の差したり雨の降つたり風の凪ひで明るかつたりした時のさもしづく影に似て、時もなく詩を手前に書くことのできずにゐる。だうしても日と時をめくり、手の先の整はずにゐるあるほどの騒がしさや静かさへ、それをそのまま省みてゐたくなる。恐らく此れを詩を書くこととして。

二〇二三年十一月二日


 風のそよひでゐるのを目に映しつつ、風の風景をなぶる様子に耳を傾け、かうして椅子に座つてゐる体の傍へ昨日とさも変はらなひ冷たさでさやぐのを、風の其の所へあるやかましさとして、けふらしく秋の日らしひと目の冴へる思ひで聴き及んでゐる。これを月の明らかな日かと思へば、その時は今とも知られず、ただ寄せる風の湿やかさより、草の丈と丈のそよぎ合ふ和やかさと、勢ひの凄まじさの片はらにゐて、空しく晴れてゐる夜を想像するつもりでゐる。秋も暮れかと思ふ。

二〇二三年十一月六日


 かうあることをかうあるとしてひとの姿やこゑにその少なひ形の表れるのを、昼とも夜とも言ひがたひ明るさの日に、昼のとほのく程の思へがたさと此の今の夜の昼よりも人の形やこゑの影さへ目に映らなひ余りのとほさとを、日の頃合ひの冷へてくる時候の現れ方として此の詩を読む人に問ひかけたくなる。秋と冬の端境に立つほどに、筆より何か綴らうことを、ただ住まふことのやうに肯つてゐる。

二〇二三年十一月十六日


 此れをもつてわたくしの周り、若しくはその心の定める時や所のほとりにゐるひとの姿や自づからの気の配りとして、哀しんでゐるやうな、手の許の物の心の佇いに愛ほしんでゐるやうな、ただ時の影らう頃にむなしがるやうな、さういふ日のくりかへしと、日より考へられてゐる日と時の過ごし方、ひたぶる程度に動かうとあるわたくしより見へてゐるわたくしの似姿と、さういつた身のうへの態度をもつて目の前に置かれ響き離るままである言葉を読み、わたくしも何ほどか語り、語らうことをわたくしといふ人のほとりにさし置ひて、此れを何とも考へたくなく綴りたくなひと思ふ。さうとしか言ひ得ず、明らめられることもなく、日の重なり淀まずにうつろつてゆく日の内に忘れられ、いつかまた立ち現れる言葉をもて、それをただ時ばかり切なひ霧や霞の内に表してゐたひ。何も思はずに。

二〇二三年十一月二十六日

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