見出し画像

詩57 拍子

拍子

識ることのさう在れば
定まりなく
落ち着かうとなく 識らうとする
こゑをこゑの周りに這はせ
いづくへ何か思はうとするでもなく
識ることの
さう在る時や所ばかりのやうな愛しさを
識ると言ふ 感情と
行ひの識るばかり
ただ同じくさう在るよりなひ言葉と
こゑを そのこゑの片はらか
又はほとりへ 置ひたり 拾つたり
手よりそつと元ゐた所に
返したりして 識ることを思ふといふ
心の動きを耳となく手となく両の目となく
言葉の在る 在ることで失はれてゐる
胸の空洞と中枢ほどの
何をか識らうと思ほへる今を再び官能する

/小倉信夫

   (2023年1月17日のツイートより引用)

Twitter @hapitum 2023/1/17

 毎年冬になると詩が書けなくなり、感受性が閉じていくのが例年なのですが、まれにそうでないときがあって、そのような時には秋からの不思議な言葉の連続感の中にずっといるのが、むしろ不思議な心地でいる日々を過ごします。

 今年はどうかと言うと、例年のように年始に一度感受性が混乱して言葉がごちゃごちゃになり、苦しんだのですが、そのあとは書けそうな書けなさそうなところをずっと漂っていました。書けないときはどんどん落ち込んでいって、凄い閉塞感の中にずっといるのですが、今年はどうも違って、なぜかもう春を感じ始めているような、そんな季節感のさ中にいます。

 もしかしたら、気温が少し暖かいからかも知れませんが、少し違う感じもあって、こればかりはよくわかりません。ただ、新春の憂鬱については早くも乗り越えたような感覚もあり、この分だと落ち着いて詩の世界を深めていきそうな、しかしある時ふと感受性に連続感がなくなってまた大混乱しそうな、なんとも言えない冬を過ごしています。

 ただ、昨年末に、今年の冬は少し違うな、という予感がありました。いつもは11月のあたりから感受性がどんどん減退していって、樹が葉を落とすように感覚が土の中に潜っていく感じがあるのですが、昨年はむしろ冬への時の移ろいに感性がその在り方をうまく合わせていった感覚があり、そのためになぜか、来年は年始から書くかも知れない、という予感がありました。

 その予感が当たったかというと、実は余り当たってはおらず、大混乱をやはりしたのですが、しかし勘を取り戻そうとすると少しずつ書いてはいて、よくわからない冬の終わりを迎えています。

 と言っても、年ごとに同じ年を迎えたことがないので、毎年よくわからないと言えば、そうなのですが。

 今年は、出せたら詩集を出したいなぁ、と思っています。まだ実現するかはわかりませんが、出せたら出したいです。けれど、毎年出せたらなぁ、と言っているので、なかなか実現しません。原因は私の浪費癖かも知れず、しかしそんなことはないと否定したくなるのは、いつの間にか本を買っている私の購買行動を置き去りにできないからかも知れません。

 買っても、同じ本だったり、結局なかなか読まないのに、買ってしまっています。それと、言いづらいですが、本を買っていると精神的に落ち着く気もします。特に書けない時など。

 本を積みつつ、積まずに放ってしまうこともありますが、金欠と闘いながら、年明けからポイ活をしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?