こゑを手に拾ふ日より - 11

こゑを手に拾ふ日より  二〇二二年十一月


 良ひことや面白ひこと、または心を苦しめることや悶へさせることなどを、書かうとこころの赴く筆のならびへ、筆のうへへあたかも筆のこころをなぞらへるやう、かうしてさういふ悩ましく愉しひことごとを胸へ思へ、思ふ身へ手よりこころとほのくやう身のうちそとへ通ふこゑを聴き、またその筆のとなりで筆の書かうとするこゑを、ここへこのやうに綴るらしひ。今は時とさはると言はば、かうして机に向かひ、おのづからわだかまるさういつた色々のことごとを、だうとなく耳と身の境へ集め、聴くと言ふほど聴く今は、時の前へしづかに腰を落ちつかす思ひの、あたかも時へ触るやう、在ると言はうか。どこかしら思ひの笑ふ夜に詩を書ひてゐる。

二〇二二年十一月五日


 鳥の鳴くこゑのくりかへし、窓より他の人と人とが行き合ふこゑや、さも此所へ暮らしをたたみまた開くことを確かめるこゑや、のどかなしづかさや、そのやうなこころを象りあらはしてゐるこゑを交はさうこゑを耳へ、また私も何も言はずこゑを此所より発てるほど、聴き交はす今の日に詩と眠る思ひの午にゐる。その思ふといふ身のたてる仕草へまた耳をかたぶかせつつ、やうやく思への無ひこゑと身のこころからその仕草をみづから真似すれば、私も戸のほとりよりまた少しとほひ、こゑを追ふこゑとそれに返される異なるこゑの、此所へ書く詩に連なると言はうか。けふの時の近くでからだをしづかに象られてゐると言はうか。

二〇二二年十一月八日


 なにか訪ふ心のあり、その心をいづくかありく足の又こころもとなひ歩き様と、足に添へるまうひとつの足を行き交はすその繰り返しと、同じく心の隣の歩行そのものより、なにか思ひ出す言葉の在るやうでゐて、こころそれほど懐かしひ思へでゐる。その時は夜であらうと、その日のわたくしが昼にまた私で在つた時と心の行き通ふ、時の過ぎることのをかしみと、決して過ぎずに片へに置かれてゐる時の思への在ることを、葉の無ひ樹や冷へた夜気や静かな草の眠る所より、かうして訪ふ心に添へてありく言葉を聴くとなくいづくへ思ひ、耳を傾け、又問ひかへし、どこか聴き及ぶ心の在つたと驚ひてゐる。どのやうに草の隣を歩き、夜気を眺め、ほどなく胸へ歩き散らす、こころ許なひ足取りを訪ふ心になづませてゐる。

二〇二二年十一月二十七日


 かやうにあらうこゑのとつとつと暮らすことの日のかたぶきの側へそつと綴られてをり、このこゑのこころのわづらはしひ情の在り様や、音の色のせはしなさへ、日の落ちかかる時の空しひかはひた様子や、その風景の内にあるこゑのやうやく此の口許より在ることをかへりみる思ひを、こゑの行方を浚ふやう、考へるまででゐる。もし何か読むと言ふことのあらうなら、今程に読み又綴ると思ふ。

二〇二二年十一月二十七日

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