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詩62 となりゑふ

となりゑふ

いづくにかあると思へて
花を瀬と考へる程
日ののちに
日ののたうち
時を波と憶へるやう
くりかへすと言ふ
こゑの現れ
こゑのほとりへ こゑを返し
さうかと言ふと
その閑かさを瀬らしひと
瀬の草の
花やぎらしひと思へ
くりかへしと言はば
のたうつ時を息といふ身の表現として
思はずに思ひ浮かべる
その花やぎに
ただ波うち続けるばかりでゐる
姿形の無ひ草を春と言ふならここへ春のゐる

/小倉信夫

Twitter @hapitum 2023/3/11

 ここのところ忙しくしていて詩を書けておらず、従ってイライラする日ばかりだったのですが、何か、唐突に書かなくては、という思いが湧いてきてしまい、深夜に一篇書きました。書く前に散歩に行ったりして、どうにか勘を取り戻そうとしたのですが、書けたような書けていないような詩になったところを見ると、二週間ほど書いていなかったため、書き方を忘れてしまっていたような気がします。

 その一方で、詩に向かう心が少し変わってきた気もしていて、それは季節に伴う感情の動きの変わり方である気もします。何か、心が春とともに草のように萌してきている気があったり、外の世界の急な暖かさに言葉がついていかず、何をどう表したらよいかがわからなかったり、あるいは身の内が空になったかと思えば、それを身のこととして感覚することができなかったりしていて、心身の変化に戸惑う詩になったと思います。

 特にこのあたりまでずっと、空気の暖かさに心が浮かされたようになっていて、胸の中には霞が一杯だし、頭はボーッとするし、しかしどこか声の豊かさが、日々の空気の移ろいの中には潜んでいるし、矛盾した感覚に懊悩していたように思います。

 書き終えて、日付がすでに変わっていたので、3月11日になっていたことに気がつきました。しかしこれがいわゆる震災の詩かというと、そのように意識して書いてはおらず、そうであるかは私にはよくわかりません。

 この詩を書いたあと、Twitterをしていて、3つほど連投をしました。内容は一応スクリーンショットに撮りましたが、すぐに消してしまったので、何を書いたかは確認しなければわかりません。しかし連投をすぐに消してしまうくらい、動揺する何かがあって、その動揺は少なからずこの詩に映っているように思います。

 矛盾と言えば、この詩を書いているときの心情もやはりそうで、言葉が筆についていかないような、書いているのに書いていないような、それとも言葉と筆が離れたような、そんな感じがありました。というより、書き方を忘れてしまい、書いている感覚がなかったと言いましょうか……

 今はまた、少しずつ取り戻してきていて、何より日を追って外界と心情との一致度が増してきており、感情的にも安定しつつあります。ということは、また同時に日を追ってゾロ書きたくなってくるということなので、書きたいなぁと思っているのですが、書けそうな書けなさそうな複雑な感じです。

 しかしひとまずよく体を季節になじませることが大事なので、今は春の野菜を食べたいなぁ、と思っています。特に、春と秋は、野菜や果物が大活躍の季節なのです。

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