『鹿の王 水底の橋』-3

2021年3月23日

久々に本を開いた。ここのところ私家版詩集発行から忙しい日が続いていて、本を読めない日も多く、やっとの思い。読んでいると心や感性が発想の源へさかのぼっていくようで、字を追うごとに懐かしい心地がする。子どもの私と話しているような……

以前Twitterに、積ん読も至福だが読むのもまた至福だと書いたのを思い出す。積ん読の至福は、私にとっては手に入れたという悦びでも、本に囲まれているという喜びでも、いつか読もうという期待にそわそわする感覚でもなくて、この一冊との出会いを忘れたくないという切なさに近い。でも手放すにも同じ感じがあって、別れや目移りもあるけど、心を開く感じもある。また出会いたいと寂しみつつ……

読むという至福のことも。こっちは買ってから時間がたった本を読むので、読みながらぼーっとしていることが多い。まずこんな言葉だっけと思い、次にこんな本だっけと思い、そして面白いなぁ、と思う。期待通りじゃなかったと落胆することも、今読むために買ったのだ、と思うこともある。至福というか慕わしさというか……

では今日は……。読む愉しみは顔を出しても、顔を出したことを隠しながら、同じ以前の愉しみと出会って目を合わせるようだった。上橋さんの書く「目顔」のような読書と言おうか……?

上橋さんの文の色気についてツイートをしたこともある。上橋さんの文は色っぽい。その色っぽい文をもう少し読んでいたいけど、もう二章でこの物語は終わってしまう。終章は短いので、あと少ししかない……。本を読む懐かしさと字から伝わる目顔が傍にある今は、まだ次の本のことは考えられず、この愉楽に浸っていたい。

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