『汽車旅の酒』-1

2021年10月20日

以前からずっと、吉田健一の本を読んでみたかったのだが、内容が難しそうなので手に取らずいた。それをこないだのキャッシュレス決済の還元キャンペーンの折に、思い出して買ってみた。評論もあったがやめておいて、いつもそうするように最初の一ページを読み、ああ、これだなぁ、と決めた一冊だった。

吉田の名前は様々なところで目にしていて、評価する話も批判する話もなんとなく読んでいたのだが、それもなんとなくで、ほとんどよく知らずに読み出したためか、むしろ批判の方が印象に残っており、ドキドキしつつ読み進めている。主に私の読んだのは文体批判で、いわくだらだらして読みづらい、や、何を言っているのかわからない、や、まともな文章ではない、などなど。

しかしフロイトの『精神分析入門』や『夢判断』よりはだいぶ読みやすい。高校生のときに読もうとして、両方とも読み切れずにうちやってしまったままになっている。だがこの吉田の文にも、どこか心理の襞を丹念に辿ろうとする認知の深みが見えていて、私は無性に懐かしい思いがする。たぶん、こんな文に出会ったのは、小林秀雄以来じゃないか、と思うこともある。

これは汽車旅の折の酒の話なので、お酒が頻繁に出てくる。その中に特に「生ビール」という言葉がよく使われており、列車に乗りながらそれを飲むのだけど、もしやと思いつつ読み進めていたら、どうも今で言う「生ビール」とはかなり違うようで、知りもしないのにノスタルジックな感じがあり、この言葉が出てくるつど面白い。

と言うのも、この「生ビール」が、得も知れず旨そうなのである。缶ビールや、いわゆるとりあえず生とも違って、あるいは、私のこれまで経験してきた新幹線や飛行機の中で飲む酒とも違って、それがもう飲めないということがわかっているだけに、飲みたくて仕方ない思いがするのだ。この憧憬は、旅情と合わさっていると言わばそうかも知れないが、しかし中ジョッキくらいの大きさの紙コップに入っている琥珀の生ビールを、駅の売店や、食堂車や、売り子の方から買って座席で飲む風景を思い浮かべると、飲んでみたくて仕方なくなる。

旅情と合わさっていると言うのなら、これは目的がない旅の酒である。目的がないから旅なのだ、という言葉は、陰に陽に繰り返し出てくる。そしてどうも、連れがいても一人旅であるかのように書かれている。

あたかも酒と旅をし、旅があるから酒があるかのような印象も受ける。

この、吉田健一という人の本を初めて読んだが、柔らかい文の後ろにある彼の博覧強記は、この世のものの成り立ちに触れていこうとするようで、ともすれば、体系のために無感動になることもある人の心の在り方を、軽妙に外してもいる。少し穿った言い方になるが、もしかしたらそれは、「汽車」という言葉の時代感に最もよく表れているのではないかという気がする。

小林秀雄を見つけて以来、こんないい文を書く作家と出会えたので、寝る前に少しずつ読むのが、ここのところの楽しみになっている。

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