こゑを手に拾ふ日より - 20

こゑを手に拾ふ日より  二〇二三年八月


 くだらなく日を重ねるうち、思ふことの日の暑さとともに涼しく移ろふのを思ひに得て、さう言へば目の上の空もやうやく静かになり始め、耳をいづくか傾げれば樹のあをみより物音のたつ気のするし、ここに暑ひ日ばかりの仕舞はれやうとする気の配りのあるやうに不意を打たれる時のをり、けふも日ごと時刻の変はり方に併せつつ、その時を考へる思ひの深まるやうでゐる。さうあれば再びとなくあるけふも詩を書ひてゐたくなり、またそしてもどかしくあるのも風の触れ方の乾き方に連なる気のする。かういふ時こそ詩を心に浮かべ次に紙にうつすのを面白ひと思へてくる。

二〇二三年八月十三日


 けふを日と風のこはひ様子で、日より来てその日と日のとなりへと通りすぎる時の形の崩れ纏まる中ほどとして、時らしくかう暑ひと再び思ふ。目の前の樹の影の深ひ蒼みの表すその樹の伸び縮みするくりかへしから、樹と日と風のほとりにゐる度、これを読書といふ言葉になぞらへ、言葉を次に忘れてしまふ。

二〇二三年八月十七日


 ひとしきり鳴くらしく鳴くこゑの耳まで届き、くりかへし鳴くことよりその目の先から足の届く所まで感じ得る身の所在をこゑの波より表してゐると思へる。身の表へ仮に置かれて在るものごとや置くといふより漂ふと言ふべき風合ひのものごとを身に問ひかへし、問ひかへすことを問ふとも言はず、ただそこに在り得なひ応答として切ながるのを、虫たちが面白がつてゐるのだと考へてゐれば面白ひ。昨日より時は再びけふと思へて寂しひ程。

二〇二三年八月二十日


 けふも目の覚めてよりくりかへし手の懐へ呼びかける気のして、そのこゑに似た淡ひ日の光の差し方を朝らしく彩りの深ひこはさとして目の内へとらへる心地のしてゐた。さう思へれば思ふ程のことより出でず、聴き及ぶやう次第に心の起きてくるのを、言葉を読むことと追ふことの手始めとしてなつかしくまたいづくへか問ふらしひ。日を日のこととしてさうあらば、朝となり目の覚めるほどの束の間にその日も終はらうといふ思へのしてくる。さうあつて朝らしひと言へる日をその日に始め、思ふことと問ふことを手すさびのやうにくりかへし、日の深まればまた朝になる。

二〇二三年八月二十四日


 整はずにゐる誰とも知れなひ人の思ひを、さう在らうと問ふでもなく整はせやうと語らうでもなく、おのづからそれをわたくしの思への内の樹よりはまだおほきな塀のやうな何かとして象り、その夢の集ふ形象の整はなひものの前へ、夢そのものを忘れやうとする私を静かに漂はせてゐた。その日のさも青ひ暮れ方の日の光の短さをまたかげらはせながら、わたくし自身も整はずにゐる心象を手に手より確かめながら独りごち、日とともに夢の目の裏から去るやうに寝ねやうとするものの、騒しく形を為さなひこゑの在りやうをだうにも出来ず、今となりそれを思ふ事と仮称する。

二〇二三年八月二十七日

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