こゑを手に拾ふ日より - 9

こゑを手に拾ふ日より  二〇二二年九月


 をみな(のひとり……、)(それともふたり……、)しづかにやうやく髪をかき分けるやうあたらしく日をあびてゐた……。優しひこころの現れた手つきより(……、手とその手を(ほとりにある壁のやうな視へなひ暗闇……、)合はせる仕草で……、)さも誰かのこころの生誕を称へるやうに……、そのひとは髪を垂らしかき分けた(気がした……。)一様に目は暗く、深ひ(誰かの……、)こころの風合ひを湛へてをり、かういふ夢と夢のすき間を縫ふまなざしの(その日の日のあたたかさへ……、)どこか遠のく静かさは(波といふ潮の招きのくりかへしを伴ふ……、)浜辺に似てゐた。砂の寂しひ広ひ浜辺に……

二〇二二年九月四日


 橋を表に細ひ本当の橋の影を覆ふつややかさを日差しが温めこはばらせてゐる、その日の長ひ橋のうへを、音と言はうか、音と音の間を彩る色合ひのくりかえしと言はうか、手の片はらに手を並べるひとりびとりの営為と言はうか、昼日中の日の笑ふ、そのやうな往来を渉りつつ、橋のすぐ目のまへへ現象する時のどこかに日と日の形のなひ光そのものを、象らうこゑを聴ひた気がした。はかなひ風を吹きとほらせる風のこころのやうなこゑに聴こへて、胸へいつか新しく、橋の表をありく身をやうやく明るませてをり、わづらはしひ思ひを風と分かち合ふ心地だつた。さういつた水のほとりにそば立つ時のこころの彩りがわづかな波の満ち引きとしてあつた……

二〇二二年九月八日


 人のゐると思ふなにかうたふこゑの届く……、やうこゑに気が付く……、手で手にさはる……、その手のこころにさはる……、こゑよりこゑのとほのく……、とほのひてそのこゑの凝つと視るこゑのほとりのその人のこゑにしか表れなひ手になにかさはるこころ……、でもつてうたひとなへる人のゐると思へる。目の……、その目にばかり視へる目の淵をしづめる夢の洞穴……、林道に在る高ひ樹の梢の近くの洞穴の奥の本当の日の光を視てゐると思ふ……、思ふことのまた逢ふほとりに浮かぶ夢……、も何をかうたふ。樹の緑色の葉が陽光に輝く……、時と所へ人のまた表れる。

二〇二二年九月十五日


 日より日を日のうへへ視へなひ指と手の巧みな動きの繰り返しで持つて塗り、その日の明るひ光の差し方に心を無くし、日を重ね、日の表を日のこはひふた身が、日と日の後ろより追ふ日の総身が、歩ひてとほり、そのうへへまた日を重ね、さうしてひとは日を象つてその日を暮らしてゐる。陽光の差す景色と風と土の新しひ彩りを日々あたらしく吸ひ込み、また心を無くすやう、暦の表へ暦を重ね、日を日ごとあらため、日の懐に笑ひ、哀しみ、何をか喜ぶらしひ。その暦をめくる夢の内の手の動きを、思はずこゑと言ふのなら、そのひとはさもしづかに日々を生きてゐると思ふ。

二〇二二年九月二十二日


 雨のこゑの瀬々らぐ震への戸よりこころへにはかに騒ぎ、いをりのうへを走るので、川や海の波を思ふまで、身の手前より裏側まで這ふ波を、寄せてはつたふ雨の音の繰り返しに、虚しさを知らずにゐなひ。雨は草を訪ひ、風の空より戸のまへへ連なる音と、茂みを重く濡らしたはます嵩とで、内側にゐる身の目のうつろの中に、凪ぐ海と表を伝ふ雨のこゑの追ふ音の波とを、激しさうに騒がしく、生じさせてゐる。こゑを追ひこゑに追はれこゑをかへし、雨に濡れる雨音の喩へやうなく震へる静かさに、目のうつろより表に瀬々らぐとほひ昔を聴く思ひでゐる。さういふこはひ夢のやうな深更の雨のさはがしさが、さつきからうら寂しひ。ずつと寂しく降つてゐる。

二〇二二年九月二十四日


 鈴虫の戸のもとより何か恋ふこゑの辺りを鎮もらせ華やがせてをり、無ひ風と此所へとほり震へつつうち寄せ、月さへにはかにいをりのうへへ現れ冷めて重たく、間もなくこゑのこゑへわたりつづき、さもゑひの覚める夜更けまで身の思ひよりこゑのとほのく静かな心地でゐた。さはらずに玉虫のうちさはぐこころを唱へ、こゑにまた離れるとなく恋ふ思ひで音を身へ偲ばせるならそのこゑは何へ臨み、何にも酔はず、戸の内側へ無ひ幻ととほるのか、やる瀬なくけふまでのひとのこころの悔やまれて、また切なひ。気の付けばつくごもり無ひ風も荒れとほのき虫のこゑの寂しく深まる夜更けの夢のほとりにゐるらしひ。

二〇二二年九月二十五日


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