こゑを手に拾ふ日より - 25

こゑを手に拾ふ日より  二〇二四年一月


 かうして先の見へなひと言はうか、物と物の境にある明るひ所や暗ひ所よりとほのくと言はうか、程近ひ宵闇の内へ深まると言はうか、凡そ心をさうおとなしくさせてゐた。慰めと思ふより、日のことにこだはり戸惑ふ思ひと考へる方が、華やかな気のする。静けさと言ふならさうであるのに、幽かとも思へる。

二〇二四年一月十六日


 同じひやうに時の暮れかかり、ことごとにこだはる訳でもなひ時と近ひ思ひでもつて、今を身の表にあらはれるささやかさより味あふのを、色を分け、日を整へ、時をまた何とも分けへだてなく疎そかにするやうに考へられて、ただ暮れ方のひとつひとつの日の光のしたたる内にゐて、先のことまで思はずにゐれば、昨日とも明日とも思へる時のひたすらのさはがしさや心もとなさの重なり合ふ心地でゐる。詩を日と日ばかりの連なりに潜ませて、何程といふでもなく、ただかう書ひてしまへば、詩の読み書きの空しさに焦らさせる。

二〇二四年一月二十一日


 宵にかう近くなつて来ることをつとに時の浮き沈みしてゐるやうな居たたまれなさとして、時に加へるものも何もなひまま、けふの日もかう終はれる程であつて、此所より他へたつものも感じ入られず、思へばただ野に冴へて在る木や草の睡りに近ひ切なさでゐるのを、時や風や色合ひの重さとして日を追ふごとに眺め、其の内に置かれてゐる。手づからなるものであり、いつよりまだ何とてなひ景色の内を、眠りつつ歩く心地と言はうか。かと言ふと、其の人はただ横たはつて居て、それを時の重さとしてはかりつつ、昨日より同じくけふも日とともに暮れ月とともに暮れていつてゐる。そのために心を他に揺らせつつ。

二〇二四年一月二十七日

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