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詩71 思淵
思淵
雨夜の夜のいづれか貧しひ
夜の雨をとほして
思ふところの
延べやうにも身体の内の
思ひのその空しひ所へ
定まり得なひで
ただ夜の得体の暗さを
思ふといふ行為から
思ふその思へを
沈めるばかり
夜の雨の雨音を身へとほしつつ
このしどけなひ日を
雨夜と言ふと
だうもこの心のしづく思ひで
考へてゐる
雨より幾つも音はたたず
夜はまた夜のひと時までの
うつろふ暗さを雨音の岸辺で深め滴き深まる
/小倉信夫
夜更けになるにつれて雨が激しく降り始め、この日は詩を書こうと決めていたのですが散歩するにはだいぶ降ってしまっており、ひとまず夕飯を食べたりしていました。夕飯は即席で作ったかけうどんで、割と上手に作れたのですが、食べ終えた頃には雨が小やみになってきていて、洗い物を終えたのちそのまま散歩に出掛けました。
といっても、どうにも心の中に胸騒ぎのような嫌な興奮がずっと溜まってしまっていて、日頃の散歩のようにはいかず、歩いたには歩いたのですがどうも感覚が定かではなく、雨の匂いの中を少しずつ濡れながらその定かではない感覚について考え続けていたように思います。
それはやはりその日の昼間からずっと胸にあった懸案のようなことが、夜になっても影として心の底まで落ちかかっていたということだと分かっていて、この大きな影は夜になるにつれてやがて予感となり、どうもその予感が本当になってきたのではと思う頃に、雨がざあざあ降り始めました。
不安のようなものかと言えば、そのようでもあり、どこか自分自身のいらだちや怒りのようなものかと思えば、そうでもあり、何とも言いがたい感情の伴う影だったと思います。その日は昼からずっと気分が優れず、その日の暮らしに集中できずにいたのですが、夜になってもやはり駄目で、その次の日にもうまく生きませんでした。
今もまだその影の中にいる思いのあり、胸騒ぎはどうも静まってきたものの、この怒りのような得体の知れない感情の中で、どうにもならずに騒いでいるように感じられています。
そういう日に、詩を書こうとして散歩を始め、そして雨に降られるまま濡れて歩き、帰ってからは降り込む雨を眺めながらその音に聞き耳を立てて詩を書いていました。それが上の詩だと言えばそうなのですが、実は書いている内容がどんなものだったのか、今でもよく分かりません。ここに転載しながら、しかし少し日を置いてから読み直すべきだと思って、まだ騒がしい心地の中にいます。
職も定かでは無く、将来の展望もひらけず、どうにも為すべき事もできない生活のなかで、このように身の内にある感情を何と形容したらよいか、分からないのですが、その中でも詩ばかりは書き続けていて、自分でもこの詩に書かれている世界を失いたくないという、どこか切実な欲求を持つようになってきています。
起きてからずっと頭痛がひどく、どうにも頭の晴れない中にいるのですが、これはもしかしたら台風が来ているための気圧の変調から来る体調の悪さかも知れず、よく分かりません。このような時にはコーヒーを飲むと良いことがあり、これからちょっとコンビニまで歩こうかと迷っていますが、雨がひどすぎて外に出るのもためらわれるほどです。しかし何か人心地がほしい気もします。
この日の晩に作ったかけうどんは、レシピこそ簡単で、出汁のまざった塩と、ふりかけを少々と、味噌と、醤油で作ったのですが、このように料理をしていると、自分の体がそれらからできあがっているのだということを、真剣に考えてしまいます。
しかし、このままこうして胸騒ぎの内にいてもよくないので、今日もまた雨のうち、外へ出てみようかと画策していますが、歩きたくないほどに降っており、かといって雨の内を歩くのもまた楽しく、昼食もまだなのでやはり出たい思いでいます。
もう少し暮れてからでもいいのですが、今日は詩も書かないので、外に出ないと体がなまりそうです。
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