おもち

クリスマスの時期、即ちお餅の時期がやってくる。そんな感覚をずっと持っている。

母が大きなポリバケツに餅米をざあっと入れて、ホースで水を入れ、米を研ぐ。
焦げ防止のため、釜に灰を塗り、釜を置くためのスペースをセットする。
木製の杵と臼には水を張っておく。
蒸籠も物置から出して洗っておく。
父の薪を割る音を聞きながら、家のなかでピーナッツを擦って皮を向き、のりを細かくちぎっておく。
ここまでが、我が家の餅つき前日の用意だ。

当日。火をくべて餅米を炊く。火の番をするのが楽しい。
今年は焼き芋もやろう、マシュマロも焼こう、ウインナーも…と年々サイドメニューが増えていくのも面白い。お餅につけるきな粉、白菜の漬け物、納豆、あんこなどなど…いろんな味付けを用意する。近年は大福にするのが定番になったらしい。

父の「始めるか!」の号令で、餅つきは始まる。蒸籠から熱々の餅米が臼に放り込まれ、父が手際よく杵でならしていく。
おばが水を張ったバケツと共に横でスタンバイ。
どしん!と倉庫そのものが振動する。足元からびりびり伝わる父の餅つき。倉庫が壊れるんじゃないかと昔は怖かった。

それでも、つきたてのお餅を貰おうと、仕上げに捏ねる父の後ろを付いて回る。OKの合図が出たら、巣でえさを待つ燕の子どもさながら口を開け、おもちが放り込まれるのを待つ。
つきたての、甘くほんのり木の香りのするお餅。この家に生まれてよかった、と毎年思っていた。

午前中いっぱい、父とおじがお餅をつき続ける。方々に配るのだ。ついたお餅は榁箱に入れられ、後日祖母が包丁で四角く切っていく。
台の上にのせられたお餅は、神棚用にコロコロと丸めていく。この仕事は手伝うことができた。ひび割れしないように、繋ぎ目を摘まんで消していく。きれいな円にできるようになったのは、中学生になってからだったような。

ひとしきり、お餅をつき終えると、今度は豆餅の番。
餅米に砂糖と塩、ピーナッツに海苔を加え、軽くつく。半円にまとめ、スライスしたら豆餅の完成。これも、出来立てがなんとも言えぬ美味しさだった。

一日かけてお餅をついたら、最後に火の始末をし、釜を洗う。
薄暗くなった中、金束子を使って、傷つけないように、でも確実に焦げを落とすように洗っていく。家に上がる頃には、外は真っ暗。もうすぐ夕飯の時間というところだ。

たくさん作ったお餅は、年明けしばらくの朝ご飯、昼ご飯、おやつになる。いつしかお餅の存在が薄れるが、また次の年末がやってくる頃、「去年のお餅、食べちゃわないと」ということで再登場。長い眠りから覚めてやってくる。

今年はコロナ事情で帰省を諦めた。あと何回、お餅つきに参加できるだろうか。

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