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じぶんをコントロールすることは、じぶんを愛でるということなんじゃないかな



コントロールという言葉の意味を調べると、「制御、調節、統制」と出てくる。この言葉一つとっても、過去のじぶんと、今のじぶんが捉える意味が変わってきていることに気づいた。

過去のじぶんは、コントロールという言葉の意味を「統制」と捉えている場面が圧倒的に多かった。バリキャリだったとき。

今は、「調節」がしっくりくる。もっというと、コントロールという言葉の本質が表すことは、「愛でる」なんじゃないかって思う。


どうしてそこに気づいたのか。

去年4月から、ヨガを始めてみた。

友達のMちゃん先生がやってくれている朝ヨガ。

Mちゃん先生と出会ったときから、彼女のまるくて柔らかい雰囲気、発する言葉で彩られる彼女の世界観とかがすごく惹かれるものがあって。

彼女がオンラインヨガをやってくれると知り、参加してみた。


「ダウンドッグ」とか「太陽礼拝」とか。

いろんなポーズがあるのだけど、最初の頃は、正直身体も硬いし、ポーズをやってみることに必死だし、ポーズによっては首がつまって呼吸がつまっちゃうことも多々あって、ヨガの良さ自体はよく分からなかった。でもMちゃん先生のつくる空間が好きだし、そこに通う参加者の方と会う時間が楽しくて参加してみてた。


だけど今振り返ると、それだけ「じぶんをコントロール(愛でる)する」ということが、じぶんにとって馴染みのない習慣だったのだろうと思う。「じぶんと向き合う」具体的な方法が分かっていなかったんだと思う。


ほそぼそ続けてみて、約9か月くらい。


「じぶんをコントロールすること」「じぶんの身体の声を聴くこと」の心地よさがたまらない。

Mちゃん先生がレッスンで必ず言ってくれる数々の言葉。

その中の一つで、毎回「左右のバランスが違うからって悪いことは何もない」「ただ、今日は右がこうだな、左がこうだなって感じて受け止めてあげましょう」って言ってくれる。


今朝のじぶんの身体の状態は、「右は可動域が広いけど、左はなんかつまるな」って感じ。今までだったら、「ってことは左がなんか故障しているのかな(だから左が不調なんだ)」とか思ってた。今は、「あ、右は動く。左はそんな動かないね。へ~、ふ~ん。そっかそっか。(じゃあ今日は少し左側を意識して動かしたり、温めたりしてあげよっかな)」とか思う。

良いとか悪いとかじゃない。「右は動くから良くて、左は動かないから悪い」じゃない。

ただ、それだけ。「右は動くね、あ、左は動かないのね、OKOK」ってだけ。



ちょっと違うおはなし。

プライベートでも、怒りの沸点に達したとき、ついお湯をこぼさないようにしちゃうんだけど、結局こぼしちゃうのね。そこに「あ~やっちゃった(悪)」って評価をしてた。

でも、お湯をこぼしたとしても、こぼしっぱなしにするのか、さっと拭くのか、丁寧に拭くのか、どうしたいんだろうって、じぶんに問えるようになってきたことは、とても良い変化だった。

そこに相手がいるから、やっぱり丁寧に拭きたいと思う。それが、相手を愛でることにもなり、じぶんを愛でることにもなるんだから。



そんな思考パターンこそが、「じぶんをコントロールすること」であり、「じぶんと向き合う」ということであり、「じぶんを大切にする」ということだろうな、と。


じぶんを大切にする、とか

じぶんと向き合う、とか

どれも非常にあいまいで抽象的な言葉だけれども、

その抽象度がまた良い。

じぶんでじぶんの言葉にしていけばいいんだもの。



気付く手段は、目の前にたくさん転がっている。

わたしの場合は、その一つがMちゃん先生のヨガだった。

たまたま出会えたことかもしれないけど、たまたまじゃない気もしている。笑



たくさんの気づける手段。あなたは何をチョイスするんだろう。

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