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Xからアカウントを削除したよ、という話

こんにちは、はじめまして。
ハパと申します。

一介のしがないネット民です。

今回は、Xをやめたよ、というお話を書いていこうかなと。

※追記
(削除しようとしたけれど、いろんなサービスと紐づいてて、結局復活させちゃったよ。noteの共有にも使わせてもらうよ。)

Xを、というと、まるで反イーロン・マスク氏みたいだな。タイミング的にも?
でもそういう感じではなくって、シンプルに自分はもう発信しないほうがいい、と判断したのであります。

きっとあなたも周知のとおり、この世は人から求められることを発信しよう、と言われて久しい。大インプレッション時代である。

そこへいくと私は、およそ人から求められるものは何も持ち合わせていない人間なので、どうしたもんかねぇ、と頭を悩ませていました。

とはいえ、そもそも私に何かを求めている人などいないわけだし、まぁいっか、と思いつつ「エビフライたべたい」とかポストしていました。

きっとそうやって低空飛行をずっとつづけていれば、私はよかったのだと思う。

ところが、ネットというのはすごいもので、たとえば作品についての「面白かった」とか「楽しみにしてるぞ」みいたいな感想が本人にとどいたりしちゃう世界なのであります。

私は面白いことがあると「おもしろい!」と声高に、叫んでしまう癖がある。だから本人のエゴサにひっかかったりもする。

さらに厄介なことに、たまーにウケて、認知され、人との関わりも増えてくる。楽しくなってくる。
そしていつかは突き当たる。人にはそれぞれの考え方や思惑がある。

そうこうているうちに、見失った。

私は何を発信しているんだ?

自分のメモ帳にでも書けばいいことを、公共の場に載せちゃうことのこわさ、みたなことを感じてしまった。

自分のことなんか誰も気に留めてなくて、言葉だけがある。
そういう世界が楽しかった。

けれども、そうじゃないのである。

人がいるんだ。そんな当たり前のことに気がついてしまった。

このnoteはきっと誰も読んじゃいないだろう。
そんな安心感とUXの使いやすさに引っ張られながら、こうして書いている。

でもでも、私がnoteの運営さんだったらこの投稿はやっぱりいやかも。

私はどこに行けばいいんだろう。

街灯に吸い寄せられる蛾のように、バチッとぶつかり、それでもまだ楽しくてこうして書いてしまっている。

名無しさんに戻りたいな、そう思いながら、Xからそっと退場しました。


息子がグレて「こんな家、出てってやるよババァ」と言ったあと、「何言ってもいいが大学にだけは行っておけ」と送り出し、旅立つその日に「これ持っていけ」と渡します。