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好き、発していますか。

 「好き」ということばは、みなさんどんな時に使いますか。胸が熱くなって涙が溢れるとき、心がぎゅーっと締め付けられるようなとき、ふわ〜っとした安堵感、もしくは直感、感覚的に。その言葉はヒト、コト、モノとさまざまな対象に向けて使うことができて、明るい気持ちで発することがほとんどかと思います。好きがあることが自分を支えてくれることも多々あります。
 SNSを通じていまは容易に好きを世界中の人々と瞬時に共有することが可能です。自分の好きを発信することで、見知らぬ誰かと友達になれたり、楽しい時間を共有できたり。それはとても素敵なことだなと思っています。好きを公にして貫くことはかっこいいとさえ思います。
 しかし振り返ってみると私は好きをだれかと深く共有してこなかったことに気付いたのです。無意識に避けてきたとも言えます。抽象的な好きは世間話として、天気の話をするなみにしてきました。たとえば音楽が好き、旅行が好き、甘いものが好き。しかし例えばどのバンドが好きなのか、何の曲が好きなのか、なぜ好きなのか、そういった話題は避けてきました。好きを共有したい、同じ趣味の友達がほしいなと常々思ってきたのに。それはなぜなのか、私は怖かったのだと気付きました。
 悪意のない「らしくないね」、少し見下した「なんで好きなの」、無関心の「へ〜」。自分の好きという気持ちを大事にしてきたのに、誰かの一言で少しでも気分を盛り下げたくなかった。好きを発することは周囲が私をどういう人間か判断し、枠にはめるための材料にするのではないかという気すらしていたのです。臆病できっと考えすぎですね。
 私はひとりで好きという気持ちを大切にしてきたこと、心の安寧を保ってきたことを悪かったとは思いません。ひとりで向き合ってきたからこそ好きを見つけるのは得意で、自分の機嫌の取り方もうまい。でも好きを共有することに憧れはすてきれなくて。もしかしたら好きを共有することで違う楽しみ方とか、新たな出会いとか、世界が広がるかもしれないのに。もったいないのかも、と。だからnoteを始めようと思いました。みなさんの好きを知って、私の好きを知ってもらって。今日よりも明日をすこしでも楽しく過ごせますように、仲間ができますようにこの一歩踏みだしたいんだ!という気持ちを第一稿として。


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