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ジャバ・ザ・ハットは眠らない(個人的アナキズム論考)

資本主義真っ只中の自称経済大国 F*** the 奴隷国家 ジャポネに住んでいて思うことは

みんな金、金、金ってうるせぇな!!

ってことなんだけど、なんでみんな、そんなにお金がほしいんだろうか。
お金なんてのは生きていく為の道具でしかないので、本来なら生活ができる程度あれば十分なんだけど、みんなやたらと不必要な量のお金を得ようとする。

確かにお金は必要だ。
でも余分なお金はいらないってことを言いたい。
お金の本質って、モノを交換するための道具でしょ。
本来人間が生きるのに必要なモノなんて大して多くない。
ミニマリストみたいに厳選する必要もないけど、現代人みたいに無駄にモノを持つ必要もないと思う。

他人の家より広くていい家、他人より上の階のマンション、他人よりいい服、いい時計、いい靴。
しかもその価値観は金額が高いかどうかで決まったりする。
そしてそれを手に入れるために他人の生活を奪い取る。

お金ってそういう使い方をするものなんだろうか?

なんか違和感を感じるんだよな。
必要以上のお金は必要ないのに、やれお金を稼げ、それ夢(金持ちになること)を叶えろ、そのためにお前は成長しないといけないんだ!

もうウンザリだ。

お金は道具だ。ただそれだけの存在でしかない。
つまりお金は「集めるだけ集めて自慢するモノ」ではない。
お金はビックリマンシールではないんだよ。

人間が生まれて死ぬまでに必要となるモノの量は限られている。
衣類、住居、食事。質の高さを求めればキリがないけど、量的な部分では有限なのだ。
そしてお金はこの限りのあるモノと交換するだけの機能しかない。

要するに必要以上のお金なんて必要ないし、お金は人が生きるための便利な道具なのだ。道具でしかないのだよ。

それが資本主義が台頭し、資本家という存在が生まれ、会社という組織をたくさん作り、人が生きるためのお金を得る目的で会社に自分の時間や労働力を提供するようになった。
会社は自社の従業員に生きるためのお金を必要な分だけ与えるために利益を出さないといけない。従業員は会社が利益を出すために働く。
そして会社は従業員が働くことで生まれた利益を、従業員に分配する。

これが本来の会社の存在意義だと思う。

だけど今のいびつな社会は、従業員に大した金を与えず、一部の人間だけが不必要なまでのお金を得たり、会社のお金がドンドン蓄積されていったりしてる。

これだと会社の存在ってなんなんだよってなる。

みんなで集まって協力するから利益が出しやすくなり、それで生まれた利益をみんなで分ける。
それが会社の存在意義だと思うし、人が集まるメリットだと思う。

今はそれがひっくり返ってる。

書店に行ってもやたらとお金を稼ぐ方法の書籍が積み上げられていてこれがまたウンザリしちゃう。
基本的にそういう書籍に興味がないので、金儲けしようぜ!!コーナーに山積みされている「ハエが群がるウンコ」みたいな書籍を排除して別の書籍を置いてほしいなどと常々思っている。

この未だにお金が大流行してる便所みたいな国家であるところのいわゆるひとつの日本という極東の国において、敢えてゼロ円でモノやサービスを売る、行き過ぎた資本主義の強烈なカウンター商売(いや、商売じゃねぇか)はとっても面白い試みだなって思った。

だいたい現代人は「何かをするのに報酬を得るって、それ当たり前じゃん!」って思いっきり洗脳されていて、その考え方があまりにも浸透しすぎてしまっててちょっと怖い。
この考え方が行き過ぎるとさ、困ってる人を無報酬で助けなくなる。
生活保護で生活してる人は何もせずに報酬を受け取ってる…なんてこと言い出しかねない…っていうかすでに言ってる人がたくさんいる。

そこで報酬を受け取らないってことを、この資本主義社会でやってみるのは面白いと思う。

実はこのゼロ円ショップ、最近、各所でいろいろと展開してるみたいで、ツイッターとかでちょいちょい追いかけてるんだけど、面白そうな方々がやってる。
まだ実際の店舗には行ったことないので偉そうなことも言えないので、とりあえずゼロ円でいろいろするってどういうことなのかってのを脳みその中だけで思考してみよう。

ギュインギュイーーン。

【0円で包丁を研いだ時の話】

実は以前「途中でやめる」さんの直売で包丁を研いだことが二度ほどある。
一度目は初めてだということもあり、無報酬、つまり無料で研ぎますよってことにした。
無料にした理由なんて特になく、趣味程度でやってる包丁研ぎで、人の役に立てればいいや、くらいの感覚でやらせてもらった。

あ、「途中でやめる」さんは山下陽光さんという方が個人で服をリメイクして販売してる、今売れに売れてるブランドで、現在福岡市在住で、おうちの庭でたまに、いや、頻繁にバーベキューしながら服を販売するっていう「直売」をやってて、そのときに包丁研ぎをさせてもらったのね。

そのときはお客さんが1人か2人くらい来ればいいと思ってたけど、意外と5人くらい来てくれた。
しかも無料で研ぐと告知してたにもかかわらずお金を払おうとするので、大丈夫ですよ、無料なんでって毎回断りを入れた。
お金なんていいですよ、そんなことより飲みましょうってことで、みんな包丁を研いでるあいだ、お酒を飲んだり途中でやめるの服を見たりしてすごく楽しかった。
もちろんお客さんの目的は途中でやめるの直売の方で、僕の包丁研ぎはついでにやってもらうって感じだったけど、それでも嬉しかった。

で、二度目の直売。
何を思ったか欲を出してしまい、僕は投げ銭スタイルの包丁研ぎをやってしまった。もちろん無料でも全然オッケーなつもりだったんだけど、これがお客さん、全然来なかった笑
「投げ銭」というワードが引っかかったのかどうかはわからない。
とにかくお金を取るってことは結構ハードルが高いなってこのとき感じた。
感じただけで、大して気にもせず酒飲みまくって青空の下でみんなで麻雀してたけど。
何が言いたいかって言うと、やっぱり初回のときの「包丁研ぎ 無料」のこの「無料」の破壊力はすごいんじゃないだろうか。

しかもこの「無料」は、企業が利益を生み出すために仕掛けるマーケティングの要素が皆無だ。
企業は「今回は無料です、どうですかこのサービス、いいでしょう、素敵でしょう」などと言って客を騙し、依存させて二回目以降でお金を落とさせる。

中沢啓治の名作「はだしのゲン」でゲンの仲間の『むすび』ってヤツがチンピラにやられた手法である。

お客様、ぜひ継続して行うべきです。初回は無料です。ぜひお試しください(次回からは有料ですがね。グハハハ。)

一般企業の「無料」はこういう毒素を含んだ罠だけど、包丁研ぎの「無料」はこういうニュアンスの「無料」ではない。

別にお金なんていらない。僕ができることで誰かの役に立てることがあるなら、よろこんでやるよ。お金なんていらない。それで人が集まってその場を楽しめたらそれでいいんだ。さぁお酒を飲んで踊ろう、エンヤエンヤ。
これくらいのニュアンスの「無料」なのだ。

そう。
こういう「無料」はすごい破壊力を含んでるんじゃないかって思う。
それは資本主義なんてぶっ壊してしまえ!!ってくらいのでっかい破壊力だ。

とはいえ別に資本主義がどうとか、アナキズムだ、ニヒリズムだ、相互扶助だ、クロポトキンだ、なんてそういう考えは1dl(デシリットル)もなかった。
ホントにただ単にその場を楽しめたらなって、そんくらいの軽い感じ。

無料にすることで支えれるし、支えられるんじゃないか?
そしたら世の中に困ってる人とかいなくなるんじゃないか??

最近ずっとそんな事を考えていたんだけど、先日、鶴見済さんの書籍「0円で生きる」を読んだら同じこと書いてた。
ビックリしたんだけど、自分が考えてたことと同じようなことをすでに鶴見さんが考えていて、シンクロニシティが発生したなコリャって思った。
こういうのなんて言うんだっけ?
「101匹のバーバリーマカク(猿の一種 学名:Macaca sylvanus 分布:アルジェリアからモロッコにかけてのアフリカ西北端)」だったっけ?

無料で動くと地域を支えることになるし、自分も地域に支えられることにもつながるんじゃないか?
無料で動くとお金の依存度が下がる。お金の依存度が高い状態ってのは、お金がなくなったら生きていけなくなることを意味してる。
そしてお金の依存度が下がれば、お金がなくなっても生きていける。
お金以外に生きる方法がたくさんあるからだ。

これはリスクを分散することなのだ。
競馬や競輪、競艇などで一点買いしてもそれが外れたらすべてを失うけど、リスクを分散し、もとが回収できるような買い方をするとダメージも少なくなる。
お金に依存するってことは、お金に一点張りしてるようなもんだ。
無料で地域を支えるってのはお金の依存を少しでも和らげることになるんじゃないかなって思ってる。

お金の依存度が高いから、下記コントのように資本家に奴隷のようにこき使われるんだよ。

以下コント部分

資本家(以下クズ)「お前ら金がねぇと生きていけないんだろ??ぐへへ
オレは金をたくさん持ってる
この金がほしければ言うことを聞け、ぐへへ」

労働者(以下奴隷)「ぁぁあ、ご主人様。。。お金ないと死にます、何でも言うこと聞きます、何なりとご命令くださいませ~」

クズ(資本家)「よしよし、では長時間奉仕しろ、過酷な労働をしろ、やり方は1回で覚えろ、失敗したら精神的に追い込んでやるぜ、ぐへへ」

奴隷(労働者)「ひぃぃぃい。。。苦しい。。。でもお金がないと死ぬ、お金くれるご主人様は神様だ~」

クズ(至福を肥やす資本家)「くはは、ちょろいもんよの、金に依存してるから雀の涙程度の金をチラつかせればいくらでも奴隷が群がってくるぜ、よしよし100万くらい稼いでくれたな、ホレ月給12万ポイー」

奴隷(騙されていることに気づいていない労働者)「ぁぁああご主人様~お金ありがとうございます~」

クズ(ジャバ・ザ・ハットみたいなイメージのぶくぶく太った資本家)「見事に洗脳完了してるの草www」

と、今の日本では上記コントみたいな現実が意外とマジでまかり通ってる。

この構図をできることなら崩したい。
0円で自分のできることをすることで、誰かの役に立つことをみんながすれば、少しはジャバ・ザ・ハット風資本家を倒せるかもしれない。

そんな妄想に取り憑かれてる昨今でございます。

変な終わり方しちゃった、許してぽん。



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