見出し画像

自己紹介 初めてのnote

こんにちは。初めまして

英語コーチ はなこです。


神戸出身
大阪府在住


中学校の英語教員をしながら
英語コーチへキャリアシフトをしている最中です。


資格としては


中学・高校の英語教員免許
英検準1級・TOEIC820点
を保有しています。



そんな、今英語を使って仕事をしている
私ですが、元々英語は好きだけど
全然できない…。



そんな私が
どうやって英語の仕事を
行うようになったのか、
そんなエピソードを
ここではご紹介しています。


【英語が苦手だった過去】


小学生の頃から、「英語が話せたらかっこいい」と思っていた私。
2つ上の姉の影響で
小学生の頃から家で「I my me」などと言っていました。



しかし、中学校での成績は3年間英語は(も)オール「3」
行きたい公立高校には受かりそうもなく
落ちるのが嫌で、私立専願に。
行きたかった外国語大学にも不合格。


大学4年生で受けたTOEICIPテストでは500点に届かず。


一緒に受検した友達は、500点オーバー。
先生が友達に
「あなた、頑張り次第でもっとスコア伸びるわよ」と。



隣にいる500点に届かない私は、、、
がんばっても無駄、ということでしょうか…
と、笑顔の下で、すねる私。



「英語を活かして世界を駆け回る」
なんて、選ばれた人の話。。。
就職活動にもことごとく惨敗し、
地元の家族経営の会社に就職。



人生の目標も特になく、



私の人生はこんなはずじゃなかった・・・
私の存在価値ってなに??



と、人生に迷い



当時流行っていた
アドミニストレーターの本を手に取るも続かず。


目標もなく転職活動をしてみたものの
惨敗。



人生に絶望。
アルコールがないと眠れない。
朝、起きれない。
と、自堕落な生活を送っていました。


けれど、心のどこかに



英語ができる人になりたい!!!



という思いはありました。


【女性も天職を持つ時代】


そんなお先真っ暗な私の人生に
転機が訪れました。



お取引先様とご飯に行っている時、

「女性も天職を持つ時代。
 せっかく教員免許を持っているなら、先生になりなさい」と。


その時、急に目の前が、パーっと開けて
「よし!そうしよう!」
と決意し
翌日公務員試験の塾に申し込みに行きました。




全く考えてもいなかった「教師」と言う選択肢。
けれど、なぜかこの時は「絶対できる」と信じることができました。



今まで勉強に対して苦意識があり、
自分は「できない子」と思い込んでいましたが、
はっきりとした目標ができたことで、
努力ができるようになりました。


勉強法の本を読み

「勉強法」なるものがこの世にあるのか!!!
とそこで初めて知り


まずは、英検! TOEICだ!と思い、
TOEICの問題を解きまくり、
TOEICは500点以下から795点までアップ!


高校時代、
英検二級を受けたらきっと不合格になるから、と
受検することすらしなかった私が
独学で英検準一級に合格しました。



意気揚々と受験した教員採用試験では、
二次試験の英語の面接で
全く話せなくて不合格。


一念発起し、
英会話スクールに行き、
地域のセンターでやっている英会話教室にも行き
採用試験に合格したい一心で
とにかく話しまくりました。


3度目の挑戦で合格!
神戸から大阪に引っ越し、
新たな場所で
自分の努力で獲得した仕事を始める!
充実感でいっぱいでした。


【学ぶことと教えることの違い】


緊張と期待に胸をふくらませて
私の教員生活が始まりました。


しかし、教員生活開始10日目には挫折を味わいます。


中学1年生にアルファベットを教える

え????
どうやって???


フォニックス???
なにそれ???


配属先は市内でも有名な困難校
自分が経験した授業スタイルでは
到底らちが明かず


どうしたらいいものか??
授業がつらくて仕方なかった時

勤務校に英語業界でカリスマと言われる先生が来られました。


これはチャンス!と思い、


私、授業に困っているんです!!!!!


と相談させていただき
いろいろなことを教えていただきました。



その日から、
見よう見まねで
学習プリントを作成したり、
回収したプリントに一言書き添えたり、
新任でもできることを一生懸命やりました。




そんな矢先
国指定の難病になり
3か月休職することに。



復帰すると、
可愛かった1年生が
困難校の名に恥じない
困難な人たちになっていました。



授業のない時間は
エスケープしている生徒の相手をしなくてはならず

授業が辛いから
授業がある方が幸せ

というマインドに変わっていきました。




2年目の夏休みには、
カリスマ教師の講座を受けに行き、
そこからまた見よう見まねのプリント作成が始まりました。


そのプリント作成を通して、授業を通して
自分の英語について知っていることが増えた!と感じました。


しかし、健康には気を付けていたつもりが
3年後に難病が再発。
次は5か月休職することになり
担任も外されてしまいました。



休職している期間中、
退院してから実家で休養。
昼間っからワイドショーなんかを見ている自分。

父は働きに行き
母は家の中を忙しく動き回っている中で
若い私は何をしているんだ…
早く仕事に戻りたい!
という気持ちでいっぱいでした。


5か月後、職場に戻ってからは
そのむなしい気持ちを埋めるように
働きました。



朝早く出勤し、
家に帰ってからも
授業のこと
クラスのこと
学校行事のこと
カリスマ教師たちのワークショップに参加するために
あちこち出かけ
時間もお金も惜しみなく切り売りし
働いていました。



私自身、勉強も英語も苦手な中学時代を送ったので
できない生徒の気持ち
勉強の仕方が分からない生徒の気持ちが
痛いほどよくわかり
「痒い所に手が届く」文法プリントを作りまくりました。


そのプリントを使ってみてはリ二ューアルし、
を繰り返し、
他学年の先生や他校の先生にも
「ほしい」「真似したい」
と言われるほどになりました。


【働き方について考える】


やりたい仕事ができている!
という充実感でいっぱいになったころ、


脚に激痛が。


病気の治療のために
大量に摂取していたステロイドの副作用で
大腿骨が壊死して
一歩、歩くごとに激痛が走りました。


人工関節にする手術をするには
まだ若すぎる
と言われ、
杖をついて仕事をしていました。


それでも、情熱は衰えず
授業だけでなく
学校の中心となって働いていました。


しかし、
魂が削られるような痛みに耐えられず
人工関節にする手術を受けることに。



激痛と共に3年半生活していた私にとって
手術後の「痛みのない自分」は、
羽が生えて今にも飛び立てるような気分でした。



これまでは
行きたい所にも行けず
やりたいことにも挑戦できなかった。


これからは
仕事と家の往復だけではなく
行きたいところに行って
やってみたかったことに挑戦して…
と、胸をふくらませて職場復帰しました。



そこで、英語科の打ち合わせ。
「先生が文法プリント作ってくださいね」
この一言に、なぜか私の心は折れました。


文法プリントを作ることで
自分の英語への理解が深まっていった。

次は、
若い先生が作ってもいいんじゃないの?

私がどれだけ時間と労力かけてプリント作っているか
分かっているの??

私は羽ばたけるのに、
また家と学校の往復をしなきゃいけないの??



授業への情熱が消えたわけではないけれど、
働き方や仕事の配分に対する考え方が変わりました。


このままここにはいたくない!!!


と強く思っていた矢先、
日本人学校の募集が。


ここにいたくない、という一心で応募。


日本人学校へ行ったことのある元同僚が言っていた
「受けたら受かるよ」
と言う言葉を真に受けて受験。

無事に合格!!!


来年派遣!と思っていた矢先
お腹に腫瘍が見つかり、一年延期される、
というハプニングはあったものの
無事に南米にある日本人学校へ派遣されました。



生徒は4時には全員帰宅し、
土日は部活もないので、
授業準備にも使えるし、
プライベートを充実させることもできる。
教員になって初めて「人間らしい」生活を送ることができました。



40歳を過ぎて
仕事が嫌いなわけじゃない
けれど、心身をすり減らし
プライベートを切り売りして働くのは違う
と思うようになりました。


【自分に合う働き方を求めて】


帰国して復帰した日本の中学校


南米の自由な空気になじんでいた私には
適応していくのが難しいなと感じる場面も多くありました。


相変わらず、朝から晩まで仕事があって
土日は部活指導があって
いろいろな生徒
いろいろな保護者がいて…


定年まで残り15年近く。
このままここで働くの????
いや、無理でしょ。

と毎日のように脳内会議が開かれていました。


英語は好き
英語を教えることも好き
その好きを活かして
学校ではない他の働き方はないだろうか?
と考えているときに出会ったのが
英語コーチ
という仕事。



20代で人生に迷い
今また40歳を過ぎて
生き方を模索している私のように

年を重ねて
「この仕事を定年まで続けるんだろうか?」
「もっとできることはないだろうか?」
「自分に合う仕事の仕方を模索している」
とお悩みの方も多いのではないかと思います。


また、私のように体調を崩され
このままの働き方を続けるのは難しい
と悩まれている方もいらっしゃるのではないでしょうか。



そんな悩みを持っている方も
「英語」のスキルがあれば
働き方に柔軟性が出てきます。

こうやって私のように再度働くチャンスを
得ることもできる。
海外に行くってことさえ叶うのです。

「英語のスキル」はそのくらい可能性に溢れています。

「英語を使って仕事をしたい」
「英語でキャリアアップしたい」
「英語でキャリアシフトをしたい」

という夢が心の奥底で眠っている方の
人生を変えるお手伝いができたらと思って活動しています。


もうこの歳では…
私の英語力では…
自信がない、
と思われている方も多いと思います。



私の人生を変えてくれた
教師なるという目標


考えてみれば
勉強ができなかった学生時代の私には
そんな心が燃えるような目標はありませんでした。


教師になる、という過程で
TOEICのスコアも少しずつ上げていくことができました。
「英語ができる人になりたい」
という、昔からの夢は
まだまだ道半ばですが、現実になってきました。



転職に必要なTOEICのスコアは700点という
話もあります。


少しでも
英語で仕事がしたい
英語ができるようになりたい
と思われている方なら
到達可能なスコアです。



今からでも
あなたの内なる願望に火をつけて
人生を変えてみませんか?



同じ英語学習者として
もっと英語ができるようになりたいと思っている同志として


TOEICのハイスコアを取っているあなた
仕事で英語を使っているあなた
なりたい自分になっているあなた

そんな未来輝くあなたを応援したい!



英語には人生を変える力があります。
まずはTOEIC200点アップを目指して
その先にあるキャリアアップを目指して
一緒にがんばりましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?