女の0.5×2枚舌

 女だからこそ書く。女の言葉はなんにもあてにならない。口から出る言葉はより一層。では男の言葉は信用できるかといえば決してそうではない(というか本来男女で区切る話題ではない)が、女性の性質の悪い面として、「無意識」「無自覚」が挙げられる。お決まりのマリーアントワネットのイメージが近いかもしれない。
 さて、元々私は男性不信者として生きてきたが、ここ数か月はもっぱら女性不信者に転向している。というのも最近、立て続けに女性に対して不信感を抱く出来事に遭遇したからだ。
 それが何かとは言わないが、「女の舌は概して0.5×2枚舌なのではないか」とまで思い始めてきた。2枚舌というと、私たちはなんとなく1枚の立派な人タン(ひとたん)が上下に2枚重なってうごめいている様を想像するが、女の2枚舌使いにおいてこれは誤りである。彼女らは私たちの持つ舌の半分の厚さのそれ(0.5枚舌)を、2枚ぴったり重ねて喋っているのである。私たちが彼女らの口を覗いても舌は1枚だとしか感じないように、持ち主の彼女らですら「自分の舌は1枚しかない」と信じている。だから質が悪い。
 本人は自分の言葉を誠実だと感じているが、2枚舌人間の「自称・誠実な言葉」なので、そこに中身や論理はほぼ全くない。私は物の好き嫌いですら本心からしか話したことがなく、他の女の好き嫌いの話に中身がないとは思いもしなかった。
 同性の、よく言えば世渡り上手でしたたか、悪く言うと空っぽの矛盾した言葉に、この年でようやく気付いたのだった。

 さて、男女同権が叫ばれる現代においても、まだなんとなく「告白は男性からするもの」という風潮は根強い(私も前時代的な人間なので、この考えがぬぐえない)。
 すると女性は必然的に恋愛市場において「(男を)選ぶ」側になるが、私は女性としてセックス・アピールになるものを何も持ち合わせていないので、市場の上部の最下層にいる。その「底」から女たちを見ていると、恋愛強者・選ぶ選択肢のある側の言葉の端々に震えることがよくある。詳しくは言わないが、「よくもまあ、(たしかに男性から見てあなたは魅力的な女性なのだろうが)そこまでの選ぶ権利を言葉の端に含ませられるな」と感心する。
 先述の0.5×2枚舌と同じで、彼女らは無意識でその言葉を口にする。私がどんなに指摘しようと、傲慢さ、「上から目線」を含んだニュアンスがあるとは分からないらしい。ただ一概に、私はこの女性たちの態度を「嫌」の一言で片づける気はない。その傲慢さに気づかないほどの自然な力強い自信に、いつも敬服する。敬服はするが、こうなりたいとは一切思わない。
 男の変な見栄や女に対する寸評などは、「自分の立場もわきまえず、ばかだなあ」と一笑に付して(無理やり)終わらせることもできるが、女のそれには、確実な自分の女性としての自信・欲求が見え隠れして、寒気がする。

 三島が書いた女性への指摘・皮肉文を読んでいると、こうして他の女性をボロクソに書いている自分の卑しい女性性に気づくことがよくある。私はそれを改めたいとか、汚くて嫌だなと思うのだが、他の女性は自分の女としての黒い面を発見した時、自分の女性性を捨てたくならないのだろうか。あんなに口の端から漏れるくらいの自信があるなら、それもまた女性美の一部だと舌でくるんで血肉にしてしまうのだろうか。

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