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相談の話

相談は日常のどんなシーンにもある。
あるが、わたしが想起したのは仕事だった。
どうしても思考が具体から逃れられない。
呼応する。

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わたしは今、ひとりの人のことを考えて考えて考えて、鼻血が出そうなほど考えている。
それが、今わたしが抱えている仕事のひとつ。変わった仕事があるものだ。

どうすればもっとその人のことを知り、もっと好きになれるのか。
わたし以外の多くの人たちにも、その人を好きになってもらえるのか。
そればっかり考えている。
それを叶えることが、会社にとって好影響を生むと思っているから。

だから、会社のいろんな人に相談した。
この「相談」には「情報収集」「ブレスト」「仮説検証」「意見交換」その他たくさんの要素が含まれる。
おんなじトピックで、30人くらいに相談したんじゃないだろうか。
個で有用な意見もあれば、数を積むなかで仮説の裏打ちになっていった意見もある。

相談に「答え」は含まれない。
当たり前かもしれないが、答えは自分で決めるものだから。
無数のヒントだけが、そこにある。

確かに、待つのが苦手だったら相談はむずかしいと思う。
相手のリアクションを待つのもそうだし、工数を増やす分、答えまでのリードタイムが延びる。
自分自身を待つことも、求められる。
だから、以前できなかった相談ができるようになったのだとすれば、選択肢を求め、時間をかける、いろんな意味でのゆとりがあるということかもしれない。

でも、ひとりで考えて、決めて答えを出せるのなら、わたしはそれが一番いいと思う。
決断できるとき、そこには自分に対する信頼が付随しているはずだから。
自力での決断が、必ずしも望んだ選択ではなかったとしても。
ヒントと迷いは同義語で、相談にはそんなリスクもあると思う。

相談の延長線上に答えはなくて、ちがう次元からぴょんと出てくるものなんじゃないかと思っている。
そして、ぴょんを求めて右往左往するゆとりを持てるひとになりたいと、今、わたしは切望している。

最初の話から着地点がズレちゃった。

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