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リマインダーの未来なんて考えたことないよ

この前、子どもの誕生日を当日の朝になっても忘れてたんだけど、リマインダーを使えばよかったのかな。

リマインダーは、タスクと紐づくもの、という印象が強い。

ある物事を忘れないようにするのは、その物事が大切だからだ。でも、本当に大切なことは、忘れないように...なんてしなくても忘れない。というか、忘れようと思っても忘れられない。

たとえば「大切な人のお誕生日」はスケジュールに登録し、「誕生日の贈り物を用意する」は、リマインダーに期日を入れて登録する使い分け。
誕生日だけなら、ツール不要で覚えている人も多いかもしれない。
(わたしが言えたことではないけど)

「大切」と「重要」は微妙にニュアンスが違っていて、個人的に、リマインダーは「重要」のために使うと考えている。
「重要」の度合いは幅広いが、誰かの仕事や生活に影響を及ぼしたり、不利益をこうむったりする可能性があれば、一定レベルで「重要」になると思う。だからわたしは、仕事ではリマインダーを使う。
あと、リマインダーに入れとけば、自分は忘れてもいいと思える安心感の価値は、けっこう大きいんじゃないか。

リマインダーのリストが増えた時、「私はそんなに大切じゃないことに時間を取られているんだ」と理解して、リマインダーをなくすための計画を立てよう。

これは非常に合理的な発想だと思う。同意もする。
一方で、リマインダーが空っぽだったら充実した、豊かな状態かというと、わたしに関して言えばそんなでもない。
“することない感”を、無によって可視化されてしまうような。
リマインダーがいっぱい過ぎると気持ちが沈むし、なさ過ぎるとひっそりした気持ちになる。
身勝手は自覚しているが、この記事を読むまで深く考えたこともなかったと思えば、有意な気づきだったと思う。

忘れてもいいことを、忘れないようにするためのリマインダーは、それ自体が本来なくなっていく未来にあるのだと考えて、ちょっと切なくなった。

それにしても、ほんとにウェットな人だ。

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