見出し画像

ネイルの話

わたしは自分の容姿に一切の自信がないし、正直あまり興味もない。
だから、髪型・メイク・服装・アクセサリー・美容などすべて、自分の苦手なジャンルに分類している。

なかでも一番苦手なのが、ネイルケア。顔のメイクも苦手だが、手は四六時中視界に入るので、そのたびに装飾を目にするのがしんどい。
剥げていくプロセスが減点方式みたいなのもつらい。

他者からどう見られるかというのは、そこまで重要ではない。
そもそも「他の人は自分が思うほど自分を見てはいない」と思って生きているから。
単純に「わたしみたいなもんが、ネイルケアしたり彩ったりしてどうするんだ」という自意識だけの問題である。
反面、手が目につきやすい部位なのは否定できず、見ようとしなくたって目に入る分、周囲を不快にしない程度のケアは一種の義務だ、とも考えている。

わたしのベースにあるのは、手そのものがちんちくりんなのに、爪だけ、指先だけどうにかしてもしょうがない、という発想。
もとよりネイルサロンに行くような気概はないし、保護のため色のないオイルを塗るのが、自意識の許す限界だった。
苦手意識があるのに塗るのが上手いはずもなく、オイルすらあまり上手く塗れない。

ただ、最近ひとつ変化が起こった。
好きなネイルシールに出会ったのである。

無論、ネイルシールは今までも目にしたことがあった。
これは主観だが、それらはたいていキラキラしている。
キラキラしている=心情的に無理、でまったくニーズがなかったのだが、クロード・モネと、グスタフ・クリムトの絵画をモチーフにしたネイルシールを見つけた。
わたしは西洋絵画が好きなので、そのネイルシールがどうしても欲しくなった。
爪くらい小さなサイズで、好きな絵を自分に貼り付け、気が向いたときに好きな絵を見られる。
ネイルは視界に入るから苦手、を逆手に取ったベストアイテムだと思って買ってしまった。
プロダクトの耐久性と自意識のキャパを知りたくて、付けたり剥がしたりしてみた。

今、わたしは左手の薬指に、モネの『睡蓮』をモチーフにしたネイルシールを貼っている。
手指は10本あるが、装飾するのは1本が自意識の限界。
結婚指輪をしているので、装飾を一手に担ってもらえば恥ずかしさが分散しなさそうなこと、日常動作にあまり使わない指なのでシールが剥がれにくいこと、が選んだ決め手。
次はクリムトにしようと思う。

好きなものにウキウキする気持ちが、恥ずかしさを凌駕することもあるんだな、という発見だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?