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「好き」に理由を持たない人たち

なぜか夫が、わたしの両親と電話で話しながら爆笑している。
実家から送ってきた味噌と昆布とイカの塩漬けが美味しかった、という話題で盛り上がっているらしい。
もはや娘を介する必要もなく、娘婿の携帯に直接電話してくる自分の父親を強いなーと思う。

両親には息子(わたしの兄)がいるが、娘が結婚したせいで「桁はずれに人懐っこい関西人」というまったく想定していなかったタイプの息子も持つことになった。

この前の冬、わたしの実家に帰る時に、夫はユニクロで父が着ていたスウェット上下の色ちがいを買った。夫は紺色、父はオレンジ色。そして「ユニフォームやで!」と言い、ふたりで嬉々として着ていた。
朝5時から海釣りに行き、6時には銭湯で朝風呂、帰って来て7時にはビールを空けていたこともあった。これは夏の話。

彼らの仲良しには、理屈も、理由もない。「だってなんか大好きやもん」しかない人たちを見てると、論理主義のわたしは具合が悪くなる。
「そんなに仲いいなら、理由をちゃんと言語化して説明せぇや…」と強めに言いたいが、ムダだと思うから言ったことはない。
ちなみにわたしの父は、昔は見た目も喋り方も非人道的に怖い人だったが、年を取るにつれ偏屈な陶芸家みたいな佇まいになり、今では孫だの娘婿だのときゃっきゃっしてるが、基本は人見知りで、誰とでも仲良くするタイプの人ではない。

父と夫を結びつけたファクターは「結婚」でしかない。そうじゃなきゃ、出会いようがない人たちだ。
今、結婚そのもの、家とか親との結びつきといった発想は少しずつその意味を問い直されつつあるが、彼らを見ていると、結婚の良い側面ないし成功例の結果だけを見せつけられている気になる。ケースとして見れば別にまったくかまわないんだけど、どうしても解せない。

これが一般的だとは思わないし、類似のケースも真逆のケースもたくさん存在するはずだ。でも、彼らはそういう一般論の文脈なんてまったくかまわず、かなり身勝手に「だって好きだから」という曖昧な感情だけで、お互いを慕い合っている。

電話を切った数秒後に「あー、お父さんに会いたい」とつぶやく夫を見ると、多少気味が悪いものの、「せやね」と同意せざるを得ない何かが確かにあるのだった。

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この作品は、共創プロジェクト『不協和音』の作品です。このプロジェクトでは、エッセイを通してお互いの価値観や発見を共有し、認め合う活動をしています。プロジェクトについて興味を持ってくださった方は、以下の記事も合わせてご覧ください

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