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怖いものの話

医学的な定義を理解しているわけではないが、わたしは自分をやや閉所恐怖症だと思っている。

たとえば、鍾乳洞のような空間が苦手。ピラミッドの中に入った映像とかは見ていられない。
車で長いトンネルを通るときは、深呼吸しながら目をつぶっている。
あと、地下にある、窓のない、せまい部屋もつらい。図書室的に本がいっぱいあったりすると、たぶん入れない。

症状と言うには中途半端だが、地下鉄は通勤で使っている。
無論、可能なら地上を走る電車に乗りたいが、最前列車両で運転席の方を向いたりしない限りは(要するに、車でトンネルを通るときと同じ視界にならない限り)乗れる。
ある程度の広さがあれば、地下にある店や空間にいるのは苦にならない。
上半身のMRIは、撮りたくない。

怖いのは、せまい空間そのものではなくて、天井が崩れて息ができなくなるイメージ。トンネルやせまい部屋の中にいるときに、何かが起こったらどうなるのかを想像してしまう。そして、その想像を抑止できない。

わたしが本質的に怖がっているのは「息ができなくなること」だ。
だから、鼻風邪を引いてるのに歯科で型取りをされたとき、息苦しさが怖くて取り乱した。
もちろん呼吸はできるのだが…
・それでも息がしづらいこと(鼻グズグズだから)
・自力でその状況を脱せないシチュエーション(型取りしてたらしゃべれない!)
…が、挙動がおかしくなるほど怖かったのである。

地下鉄に乗れる原理も似ているが、気にしなければ地下空間もMRIも平気だと思う。大切なのは、意識のフォーカスを自分が置かれたシチュエーションに合わせないこと。
たとえば朝は英語のレッスンのために教材の予習をしているから、地下鉄に乗っていることが気にならない。たぶん、本気でヤバい症状に見舞われたらそっちに意識が行って、MRIも撮れると思う。
逆に、これは息苦しくなるんじゃないかと気づいたが最後、意識が完全に呼吸に向いてしまい、実際に息苦しくなってくる。
呼吸とか心拍とか、気にしたら生きていけないものは、気にしちゃダメなんだと思う。

先端恐怖症の人が「尖った物そのものではなく、それが目に刺さるイメージが怖いのだ」と言うのを聞いたことがある。
まさしく、同意である。
ある種の空間や物に対して、自分でイメージをつくり出しておいてそれを怖がる。恐怖を自給自足している。
とても無為だと思う。

でも、怖がらない練習はむずかしい。
全然うまくいかない。

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