心配性なライターの独り言
良い原稿が書けなかったなと思う時、それは大概インタビューから失敗しているケースが多い。
適切な言葉を選べていないから、仕上がりがしっくりこない。
適切な言葉を選べていないのは、適切な情報を入手できていないからだ。
一応きちんと整った、でも何にも心に響かない言葉が並んだ原稿は、とても虚しい。
むずかしいのは、そんな原稿になってしまったとしても、ライター側の労力や熱意に他の案件と差がないこと。
良い原稿に仕上げたいと思ってインタビューに臨み、他の案件と変わらず時間と意識を注いで原稿を執筆しても、うまく仕上げられないことがある。
不思議で、むずかしく、もどかしい。
類似のことは日常生活でも起こる。
わたしは、自分の前に困っている人がいたら何か力になりたい。
でも、どれだけその気持ちが強くても、状況を正確に把握できなかったり、その人についての情報が少なかったりして、適切な言葉をかけられないことがある。
会って話すことの叶わない現状下ではwritten communicationに頼る部分が大きく、適切な情報を得ようとすれば、相手の手数を増やしてしまう。
にもかかわらず、その結果、適切な言葉を構築できる保証はどこにもない。
既に何度も繰り返してきた、たいして役に立たない言葉をかけるしかないのは、無力で、とてももどかしい。
すべてを理解するなんてできないし、それが必要だとも思わない。求められてもいないと思う。
それでも、わたしは言葉を商売道具にしている以上、言葉には一定の力があると信じているし、言葉の前では真摯でいたい。
言葉をかける以外に力になれる手立てがないのなら、でき得る限りの力を尽くそうとする気持ちだけはなくさずにいたいのだ。
自己満足に過ぎないことは承知しているし、自分が紡ぐ言葉にどれだけの意味を持たせられるかは、あくまでもわたしの努力義務の範囲にある。
結局のところ、今、わたしにできることは何にもない。
ただ、早く元気になるといいなぁと思う人の存在が、わたしにこの記事を書かせてくれた。
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