「日吉辰哉=麻雀実況の第一人者」であってはならない理由
日吉辰哉プロ。
日本プロ麻雀連盟所属の麻雀プロ、というよりも、日本有数の麻雀対局実況者として、その名を馳せている。
人知を超えた堀慎吾プロの立ち回りを「見ちゃいけないもの見ちゃった」と表現し、更にその後結局本田プロにアガられても「本田のツモアガリが色褪せる」と言い切ることで、この局はアガリよりも堀プロの守備の衝撃の方が大きかったことを伝える。
実際の点棒移動よりも大切なこと、心を揺さぶるものにフォーカスし、その価値を最大限高めるように表現する。
ある意味「実況」としては、ギリギリまで踏み込んでいる部分もあるが、その手法で物語を盛り上げ、絶大な支持を得ているのは大きな功績だろう。
まさにスペシャルでオンリーワンな実況者である。
個人的には、こういう方向への”踏み込み”は最大限評価している。
しかし、である。
それを差し引いても、あくまでもこれは”飛び道具”であって、これが王道やスタンダードになっては困る!と声を大にして言いたい。
その理由を、順を追って説明して行こう。
※すべて、個人的な見解です
(1)状況を正確に実況していない
実況の最大の使命はこれである。
「最大」かどうかは意見が分かれる可能性もあるが、少なくとも誤りを伝えるのは大きな失策なのは間違いない。
日吉プロがあまりに見落としや見誤りが多い、というのは日吉ファンでも確実に認めることだろう。
「七対子リーチに『待ちは全部山にある、山4だー』と実況したら、渋川さんに『日吉さん、七対子の待ちは最大で3枚です』と」
「訂正して間違える、よくあるパターンです。この間スーソーとキューワンも見間違えました」
人は誰しもミスをする。しかしその際の対処が、あまりに酷い。
通常実況アナウンサーならば同じミスをすれば降板の危機感を持って臨むが、自分のミスをネタのように誇らしげに喧伝、直す姿勢すら見えないのだから、呆れてものも言えない。
(聴牌取った選手に対して)「壊した、壊した」
(萬子4種でテンパイの形で)「萬子はだいたいテンパイ!」
(「66m779p344577899s」のような牌姿から「(4sは切れない状況だから、七対子に絞っての)一向聴の三択、ゆっくり選ばせてあげて」と言う解説者に対して、明らかに七対子を見落として)「8s外せないっすよ、8s外したら一向聴じゃなくなっちゃう!…七対子か?!七対子だー!」
とにかく事実誤認が多く、また事実も盛り過ぎることが多いので結果として誤認を招く表現になりがち。自分の見落としからの気付きで勝手に盛り上がるので、視聴者の感情にも寄り添っていない起伏も多い。
イーシャンテン、酷い時はリャンシャンテンで「テンパイ!」と叫ぶことなど日常茶飯事、それを解説者が訂正するのも日常茶飯事。
例えば野球の状況アナがカウントやスコアを間違えまくって、解説者が訂正する中継など見たことがあるだろうか?
麻雀を野球なんかに準える必要はない、新しいスタイルを切り拓け、という意見もあるだろうが、だからと言って麻雀中継のスタイルは「実況は好き放題間違いも垂れ流して、訂正するのは解説者の仕事、実況は何故か間違いを得意げに誇る」がスタンダードで良いとは思えない。
(2)日本語の誤りが多い
単純なミスが多く、喋りの技術に問題がある。
特に「ら抜き言葉」に関してはあまりに回数が多く、かつ本人が訂正したことも皆無なのではないか。
「止めれない、もう止めれないぞ」
「満貫ツモならこらえれる」
「これは間違えれない」
これに関しては枚挙に暇がない。
「日吉さんの実況中の『ら抜き言葉』、過去に100回以上か以下か?」というベッティングがあれば、全力で「以上」にオールインできるレベル。
民放各局はここ20年ほど「演者が『ら抜き言葉』で喋っても、テロップには『ら』を入れる」ルールで統一している番組がほとんどなので、そのフォローができない生番組、特にキャスター・アナウンサーは気を付けていることである。
例えば地上波で日吉さんが実況する日が来るとすれば、これは流石に厳重に注意を受けるだろう。他はともかく、これだけは明日にでも、いや今すぐに直した方が自分の為だと思う。
「俗物の塊でございます」(強いて言えば「俗物根性の塊」、それを「俗物」と言う)
「ここはトップ!…あ、連対、少なくとも…ラスはなるべく引きたくない」(何も伝えていない)
「対局の中盤から後半になると急に強くなるたろう」(「中盤」は序盤/中盤/終盤と3分割にした表現、「後半」は前半/後半を2分割にした表現、「中盤から終盤」とすべき)
「私は海賊船だ!…いや海賊船に…海賊船に乗っている…女だ!」(「海賊だ」で良いのでは)
「トップとなりました二階堂瑠美選手のハイライト映像を振り返っていきましょう」(「二階堂瑠美選手がトップとなった半荘のハイライト映像」だろう)
「王牌になければあなたたちから貰えばいいわよ」(「山になければ」では)
この手のシンプルな国語力・語彙力不足もあまりに多く、しかも”口上”を決める口調でビシッと言い切る時に限ってこの調子である。
「実況アナ」と言われることもあるが、(1)の「実況」部分の決定的な欠如に加えて、「アナ」の部分も大きな欠陥があると言わざるを得ない。
(3)表現や抑揚よりも声量に頼り過ぎる
音声・映像を通じたマスメディアにとって、意外と重要なのは「音量を変えずに視聴し続けられる」ということ。
テレビでマスターに納品するテープは、音声レベルの上限は厳密に管理されており、見ている途中で音量を変えなければいけないようなコンテンツは、それだけで欠陥品である。
例えば麻雀店の店内で「Mリーグ」中継を流していた時、実況が日吉プロの時だけ、お客さんから「うるさい」というクレームが入る。
一応通常時の実況でギリギリ聞こえるぐらいの音量にしていると、盛り上がった時がクレーム入るレベルになりやすく、しかもそれが度々起こるのだ。
逆に言えば日吉プロの時が一番興味を持って聞いている部分もあるので、「耳目を集める」意味ではプラスの部分もあるのは十分認めつつ、しかし実況アナウンサーの基本には則っていない。
「俺の喉はくれてやる!」
「アメトーーク」でも名実況として登場したこのフレーズだが、そもそも「実況」は緊張感や興奮を表現する場合も、音量でなく表現の内容や口調・抑揚で伝えるべきだ。ここに関しては異論もあるだろうが、少なくとも放送の概念上はそうである。
また試合の間は最初から最後まで安定した音量で伝えるべきなので、そのメンテナンスという意味でも、「私の喉がもたない」をウリのように表現すべきではない。
「声を枯らすのは、実況ではなくファンの仕事」ではないだろうか。
「声を枯らすのは、実況ではなくファンの仕事」ではないだろうか。
これは大事なことなので2回言いました。
(4)時代にそぐわない差別や偏見に溢れている
時に実況はキャラ付けを助け、演者の人気獲得にも寄与する重要な要素。
その意味で、日吉実況は貢献している部分もあるが…しかし大きな特徴として、他者の失敗をイジり過ぎる・ジェンダーロールを立て過ぎるなど、現代の時流に合わない内容が多い、というのが個人的な見立てである。
(解説・渋川の「小林選手が一番打点が低い可能性があるので」という分析に対して)「今のdisってます?!disってないですよね?!」
他家の打牌判断に関して、”人読み”込みの高度な戦術を教えてようとしてくれているのに、目先の「渋川が小林をイジった?!」というトピックだけに注目して、話を遮ってまで「自分が渋川プロ・小林プロの両者をイジる」のに夢中になってしまっている。
「麻雀中継」の上でも邪魔だし、実際に渋川プロに小林プロをイジる意図はないのだから、選手の”キャラ付け”の面でも邪魔になっている。
この”イジリ”癖が最も発揮されるのは、解説の土田浩翔氏に対して。
僅かなミスを激しく蔑み…いや、別にミスではなく、実績あるレジェンドプロが自分の麻雀観に従った真面目なコメントを述べたのに対して、それがオカルト寄りの理論だったりすると「な~にを言ってるんですか」と見下すような口調で責め立てるのだ。
実際、Mリーガーは古くは「オカルトバスターズ」を結成したプロたちが引っ張っているし、視聴者も極めてデジタル優位な層なので、視聴者の感覚に合った”ツッコミ”にはなっており、敢えて視聴者の為に古(いにしえ)の「オカルトvsデジタル」的な”プロレス”をやっている可能性はあるが…
しかし、それならば自分は実況でオカルトとしか表現できない予断は即座に止めるべきだろう。
「風が来てます!」
「これ、ツモります」
「2枚対4枚ならば2枚です」
多くのタイトルを獲得したレジェンドのオカルト寄り理論を小馬鹿にするのに、自分はオカルトを知り尽くした最上位目線からのような断定を繰り返すのは、流石に整合性がない。
しかも、その理論云々以前に存在を根底で「小馬鹿にしている」かのようなやり取りが多いのは、土田プロを敬愛する者としては到底許しがたい。
小林プロが「4m6pの双碰待ちテンパイ」の状況で、堀が三色安目3m引きでテンパイ即リー。すぐ次巡に高目の入り目だった6mを引いたので、土田プロが「うわっ(1巡の後先だった)」とリアクションすると、「関係ないすよ!6mは関係ないっす!w」と嘲笑するような口調。
「土田プロが『4m・6p待ち』と『6m待ち』を勘違いした」と勘違いして、そのミスを咎めて笑おうとしたのは間違いないだろう。
その種の勘違いミスはMリーグ界隈で一番自分が多いのに、他人に関してはこの態度である。流石に醜いので、特にこれは止めて欲しい。
また最近は、麻雀のルールの基礎知識(「ダブロンは無しでアタマハネというルールがある」など)を、敢えて自分で説明せず解説者に質問して答えさせて「麻雀の専門家として立てる」やり取りをしているが、それならば解説者に対して上から諭すような物言いは絶対にしない方が良い。
解説者に自分は知らないていで用語を説明させた後に、「南の3局は『全員集合』はまだ早いんすよ、南の4局限定です」と、謎の自分ルールを教え諭すの、これはあまりに整合性が無さすぎる。
また「男たるもの」「男をあげる」などの表現も比較的良く用いているし、”選手のモノローグを勝手に語る”得意技のなかで切羽詰まる攻防にあっても女性プロには「~わよ」と”男が望む女性口調”を押し付けている。
これは気にならない人も多いだろうが、根底に「男は強い」「女は戦いの最前線でも女性らしい口調」という、古い男尊女卑とジェンダーロール押し付けの発露と思えてしまう。
個人的には、こういう表現が自然に出て来ること自体が、麻雀界全体に古い価値観が蔓延しているかのような演出になってしまうので、なるべく避けた方が良いと思っている。
(5)主語が常に自分である
ここまで(1)~(4)に関して述べてきたが、結局これが根底に強く流れているのが明らかなので、スペシャルゲストのコメントならば楽しく聞けるが、競技の実況としては完全に逸脱して見えてしまうのだろう。
(シーズンの3分の1が過ぎようとするタイミングで)「みんなまだまだと言うんですよ、でも実際三分の1終わるぞ、と僕、思ってます」
(テンパイしたら放銃ある、と言った直後に実際テンパイ者が放銃して)「言ったじゃん!」
「3分の1が終わる」という事実を表現すればいいだけのやり取りで、「僕だけが知っている」ようなレトリック、まあいらないですよね。そしてこれも「アメトーーク」でも取り上げられましたが、「アガリトップ者がテンパイしてアタリ牌掴んだから打った」仕方のない放銃に対しての「言ったじゃん!」は、自己顕示欲あるいは承認欲求でしかない。
これから切られる牌を他家がポンするだろうと予見して「ポン!○○よりも先に鳴いて行くスタイル!」「○○より先に鳴いて行く日吉!」と言うのも得意技としているが、この自己顕示も全く必要ないだろう。
また「Mリーグ」以外で印象的だったのが、Mリーグ参戦が決まった直後の内川プロの自団体での対局の実況。
内川プロの四暗刻テンパイに「お前ならやれる!見せてみろ!」と、ニューヒーロー登場の象徴になりそうな展開を盛り上げる…までは良いのだが、興奮しすぎて海底の位置を見誤り、一旦「ダメだ―!」となった後で、まだツモがあったという状況。
「延長戦、エクストララウンド!」と表現して、結果内川プロのツモアガリを大いに盛り上げたのだが…言うまでもなく「延長戦なのはお前だけだろ!」と誰もが思った実況であった。
鳴きで海底がズレた訳でもないのに、純粋な自分の勘違いを実況の”本線”に入れてしまう、これはまさに「内川のツモアガリも色あせる」スタンドプレーにさえ見えてしまった。
これらの場面に関しては”自分アピール”以外の何物でもなく、日吉さんの持ち味である「自分の感情を爆発させ、視聴者の感動を呼び起こす」実況とは程遠いものである。
とにかくこの「自分アピールの度合いが極めて高い」ということが他の要素と組合わさって、全体として極めて低レベルに見えてしまうのだ。
自分語りに夢中で場面実況が疎かになると、より酷い失策に見えるし、パンチライン決めようとして日本語を間違ったり声を枯らしたりすると、目立つことより基礎を学べと思ってしまう。
こういう”逆補正”が掛かっているので、完全に公平な判断ではないかもしれないが、それでも「Mリーグ実況の代名詞=日吉辰哉」「麻雀の実況の一つの回答=現在の日吉辰哉スタイル」となっているような現在の風潮には、流石に異を唱える人間がいるべきだと思う。
正直、地上波の人気番組「アメトーーク」で、きちんと紹介された実況者が「面白くて魅力的だけど実況としては欠陥だらけ」の彼だけだったのは、「熱狂を外へ」を望む麻雀ファンとしては悔しく恥ずかしい限りだった。
連盟で実況の指導をすることもあるようだが、あくまでも「魅力的だけど”危険物””飛び道具”のスタイル」なので、少なくともこれをスタンダードとして踏襲・継承することはないようにして欲しい。
とはいえ、
「魔王を起こしてしまったー!土田さーん!」
(土田「はい」)
「おはようございまーす!!」
みたいなやり取り、思わず笑ってしまうし、他の人には絶対できないので、いなくなるのも困るんですけど。
最低限の技術と日本語知識と整合性と他者への敬意を持ちつつ、自分のスタイルを後進には押し付けず、週1回程度の実況はして欲しい…というのも私の押し付けですね。はい、すみません。
以上、結構真面目な本気の提言でした。
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